2020年9月26日 (土)

【私の武術慢歩】 第二次訪中団以降の協会の主な活動

 以下は第二次学習訪中団から第四次直前までの訪中学習など協会の主な活動の概観である。出来事を網羅しているわけではない。

 また、これらの訪中団には、私は参加していない。

 

 

 第二次訪中団の翌年、1976年11月10日~24日までの15日間にわたり第三次日本学習訪中団が派遣された。
 この年、毛沢東主席、朱徳委員長の死去、それに続く四人組失脚、唐山大地震など、大事件が相次いでおり、第三次訪中団はその後のことである。

 

 17日まで北京で学習と見学など、残りは広州、桂林、上海での見学であった。

 学習は北京のみで、内容は簡化、八十八式、推手、基本功であった。

 

 この時、四十八式と六十六式はすでに作られ、中国では盛んに行われていたようである。ただし、この訪中団での学習はならなかった。外国人に普及するまではオーソライズされていなかったのかもしれない。六十六式はその後姿を消す。

 

 メンバーは以下の九名(敬称略)。

 団長・中野晴美、秘書長・沢田文七郎、以下は団員で、小島光男、尾崎春子、中張雅夫、諸住昌弘(福岡)、松井信博、川崎雅雄(大阪)、宮崎雅吉(盛岡)。



 1978年1月14日から27日まで、“太極拳友好之翼”訪中団が上海、南京、揚州、無錫を訪れた。130名が5班に分かれての大掛かりな訪中団だった。

 上海では各式太極拳の表演大会が開かれ、楊式、呉式、陳式、武式、孫式の五大流派が表演された。

 

 

 同年7月26日から8月2日にかけて、三浦専務理事、中野指導員、高谷寛氏の3名が特訓のため上海を訪れる。

 日本人による四十八式太極拳の学習は、この時から開始されたことになる。

 

 帰国直後の5日~8日、オリンピック青少年センターにて第3回全国講習会が開かれ、130名が参加する。

 ここで公認指導員養成講習会が開かれ、長谷川園子、武田幸子、潮田強、尾崎春子、住田克己、松井信博、高谷寛、宮崎雅吉(盛岡支部)宮内信隆(福岡支部)の各氏と私の10名が公認指導員となった。



 その直後の8月12日、日中平和友好条約が締結される。

 

 この頃から「太極拳は技撃である」と言う言葉を聞くようになったようだ。

 太極拳は健康体操だ、と言っていたころから、かなり様変わりした。

 12月から鄧小平の改革開放政策が始まる。その機運が武術界にも影響していたかもしれない。

 

 1979年の年頭には第四次訪中団の派遣が決定される。

 同年3月25日より4月1日にわたって、上海特訓団が派遣された。

 メンバーは、中野晴美、武田幸子、遠藤靖彦の三氏である。

 

 楊式太極拳・刀は傅鐘文師が演じ、陳式太極拳を周元龍師、呉式太極拳を孫潤志師、武式太極拳を浦公達師、孫式太極拳を陳興坤師が演じた。

 

 この時の8mmフィルムは我々に大きな衝撃と影響を与えた。フィルムにはこの他、八卦掌や形意拳、練功十八法も収められていたはずだ。

 

 周老師の陳式太極拳には多くのファンができ、後にこのフィルムを基に有志数名による勉強会ができたほどだ。私も参加したが、フィルムを少しずつ見ては動作を真似するというものですごく手間がかかり、ビデオの無い時代によくやったものだと思う。

 私が孫式太極拳に興味を持ったのもまさにこのフィルムがきっかけであり、観たのは第四次訪中の僅か二週間前のことだった。

 

 学習種目は、伝統楊式太極拳、太極刀、太極杆、陳式太極拳、四十八式太極拳、太極推手、武術基本功、理論学習など多岐にわたり、このメンバーでなければ難しかったのではと思わせる内容だった。指導は周元龍師が行った。

 伝統太極拳は日本人としては “太極拳之翼” 訪中団のメンバーに公式に披露されていたが、教授を受けるのはこれが最初だったであろう。

 

 

 第四次訪中団はその一か月余り後になる。

 その前に、協会の仲間たちとの中国武術以外の私的な活動や、日本の武道に関することにも、何回か触れておきたい。

 

 

2020年9月19日 (土)

【私の武術慢歩】 仙台で脂汗

 協会の指導員や研究員は、支部など地方の方々に指導することが度々あった。東京本部に来られての練習もあれば、こちらから出向いてのこともある。

 仙台に行ったのは何時頃のことだったろうか。三浦さんに連れられて出口衆太郎氏と一緒に行った記憶があるが、この時のものかどうか定かでない。

 

 仙台のグループは、橋本敬三先生と言うお医者さんが率いていて、皆さん熱心に練習していた。

 簡化二十四式太極拳を指導したと思う。

 当時まだ珍しいビデオテープ・レコーダーをお持ちで、練習後にそれを見せていただいて仰天した。

 自分はもっと上手いと思っていたのに。もっとちゃんとした姿勢をして、ちゃんとした動きをしているはずなのに。

 六面鏡張りの箱に入れられたガマガエルの気持ちが分かった気がした。

 私の脂では売り物にはならないが(ガマじゃないし....)。

 

 姿勢や動き、身体感覚など、主観と客観を一致させるように擦り合わせようと意識し出したのはそれからだと思う。

 ここでビデオを見せてもらわなければ、私の上達はもう少し遅れていたはずだ。早い時点で分かってラッキーと思うことにする。

 人によってこういう感覚の得手不得手はあろうが、意識して練習を繰り返すことで、時間の差はあってもだれでも得られるものだと思う。

 

 そういえば落語家の八代目橘家円蔵師匠(月の家圓鏡)がラジオで、

「他の噺家の落語を聞いて『こいつはオレより下手だ』と思ったら、自分と同等かヘタすると自分より上手い。自分と同等と思ったら、間違いなく自分より上だ」と言うようなことを言っていた(以前別のブログで書いたことがある)。自分を見たか他人を見たかの違いで、これと同じようなことかもしれない。

 

 後日、橋本敬三先生が操体法の創始者だと分かった。知らなかった。操体法のお話が聞きたかった。残念!

 しょうがないので書店に出かけて本を買った。

 『温古堂先生・万病を治せる妙療法』 1977年、農山漁村文化協会

 今は同じ農文協から、『万病を治せる妙療法―操体法 (健康双書ワイド版) 』として出ている。

 読んですぐ使えるので重宝した。会社で同僚の寝違えや草野球で痛めた肘などによく効いた。ちょっとした体の調整には使いでがある

 

 次回は第二次以降の訪中事情について書いてみようと思う。

 

2020年9月12日 (土)

【私の武術慢歩】 太極拳協会の人びと

 私が日本太極拳協会に入った当時すでに誰がいたのか、私の後に入ってきた人は誰か、今となっては判然としないが、とりあえず初期のころどんな人たちがいたのか、記憶をたどってみよう。

 

 三浦英夫専務理事、中野晴美指導員はおなじみ。そのほかの主な方々を思いつくまま挙げてみる(敬称略)。

 

東京本部

 長谷川園子(事務責任者)

 高谷寛

 品川美那子(第四次訪中団メンバー)

 武田幸子(第二次訪中団メンバー、現・女子太極拳クラブ)

 小嶋光男(第二次・第三次訪中団メンバー)

 潮田強(第二次・第四次訪中団メンバー)

 尾崎春子(=早瑠子、第三次訪中団メンバー、現・無拳無意求太極会)

 根本一己(現・日本老螳螂拳研究会)

 松井信博(第三次訪中団メンバー)

 江澤一雅(第四次訪中団メンバー、現・東京陳氏太極拳研究会)

 中川二三生(現・太極拳練神会)

 田口久雄(第四次訪中団メンバー)

 沢田文七郎(第三次訪中団秘書長)

 出口衆太郎(現・自然身法研究会)

 遠藤靖彦(現・太我会)

 などなど....。

 

 支部の方々も忘れてはならない。

 1975年4月の理事会で福岡支部が承認されたのを皮切りに、大阪支部、名古屋支部、仙台支部などが次々にできた。

 

福岡支部

 宮内信隆(第四次訪中団団長)

 諸住昌弘(第三次訪中団メンバー)

大阪支部

 川崎雅雄(第三次訪中団メンバー)

 増田尚子(第四次訪中団メンバー)

名古屋支部

 三輪修嗣(=修二、第四次訪中団メンバー)

仙台支部

 永井久義(第四次訪中団メンバー)

 新島邦宣(第四次訪中団メンバー)

 

 上記の中にもそれ以外にも「太極拳友好之翼」訪中団に参加されている方は多いが、煩雑になるので記述を省いた。

 

 古い方なら知った名前を何人も見つけられたことだろう。

 その他にも数多の会員がいるが、すぐ思いつかなかったのは私の老齢のためとご容赦いただきたい。

 上記の方々との活動については挙げるときりがないので、いずれまたの機会に書こうと思う。

 

 

2020年9月 5日 (土)

【私の武術慢歩】 生活の変化で協会は半年休み

 東京に出て会社勤めを始め、かなり長い研修の後配属されたのは、営業推進部というところだった。営業のサポートをするということで、デモ・プログラムを書いたりするSE的な仕事で、満足していた。

 

 ところが1973年末ぐらいからのオイルショックで景気が落ちていき、私の勤める会社でも配属されてそんなに経たないうちに人員整理があった。

 

 私が回されたのは業務部で、商品の入出庫などを管理する部門であり、主な仕事は帳簿付け、たまに平和島の倉庫で在庫管理をする。

 都市鉱山などと言って、廃棄する電子機器からレア・メタルを取り出すのは今や常識だが、その頃は電子基盤の接触部からメッキした金を取り出すために業者に払い下げるということをしていた。

 帳簿は紙の台帳にペンをインク瓶につけて手書きしていて、これがコンピュータ会社か?と呆然とした。

 不景気で仕事もあまりないので、帳簿をコンピュータ化するプログラムを書いたりしていたが、そんなものはすぐ終わってしまう。ソフトウェア技術者志望としては、なんとも面白くない毎日だった。

 太極拳訪中団に行ったのもこうした中でのことだ。

 

 小田急線百合ヶ丘に会社の寮があり、新宿で中央線に乗り換え四ツ谷から会社まで徒歩10分。新宿駅の乗り換えでは、細かく切り返しながら、ぶつからないよう人の波を縫って進む練習をしていた。
 ちなみに隣の新百合ヶ丘は私の入社時にはなく、その年にできる。

 

 会社から早く帰る日や休日は、よく新宿に出て紀伊国屋書店に行っていた。

 新宿駅東口から紀伊国屋書店まで大した距離ではないが、その間にティッシュ配りが10人以上はいる。意識操作の訓練のつもりで「今日はもらわない」「今日はもらう」とどちらかに決めて、いろいろ工夫していた。ティッシュをもらわないようにするのは難しくない。気配を消すというより、威圧する感じで近づくと手持ちもあり渡せる距離なのにくるりと後ろを向いてしまったりするのが面白かった。もらうのは難しい。威圧してもだめだし、気配を消すともらえない。

 会社の同僚と協会の仲間以外は友達もいないので、よくこんな一人遊びをしていた。

 

 世の中は、1975年に長嶋茂雄がジャイアンツを引退、私は武道館の帰りに中華屋のテレビそれを視ていた。

 歌謡曲では、井上陽水「氷の世界」、山口百恵「ひと夏の経験」、かぐや姫「22才の別れ」、布施明「シクラメンのかほり」、イルカ「なごり雪」などが街に流れていたと思う。

 

 

 そうこうしているうちに、同じ部の他課の同僚二人が国産大手コンピュータ・メーカーのF社に中途採用されて転職し、ソフト開発部門に配属された。「後藤も来いよ」ということで私も中途採用試験を受けて、1976年5月の連休明けから出勤することになった。
 最初の会社には2年ちょっといたことになる。
 転職にあたって、訪中団の3週間延長事件を許してくれた優しい課長が「良かったな!」と喜んでくれた。

 

 次の会社の配属先は、超大型コンピュータのOS(オペレーティングシステム=基本ソフト)の開発部隊で、その中でもスーパバイザ(基本ソフトの中のさらに基本部分)の開発に回され大満足だった。

 仕事は忙しく、やはり協会に通うのは慣れるまで無理なようだった。
 開発したプログラムは実機でデバッグ(エラーを除く)しなければいけないが、超大型コンピュータは会社にもそんなに何台もあるわけではなく、デバッグするのに割り当てられる時間は深夜のことが多い。配属されて最初のころ、ひと月徹夜6回、残業時間90時間というのが、私の会社人生の残業最高記録である。

 

 住み家は池上線の久が原駅近くのぼろアパートを借り、蒲田のシスラボというビルに通う。

 職場は6階にあり、出勤時は練習のつもりで階段を2段か3段ずつ登っていた。朝の忙しい時間帯、皆はエレベータを使うので目撃され不審に思われることもない。

 後足を勢いよく蹴りだすのではなく、できるだけ重心の上下動が無くズルーっと滑らかに進むように練習した。ナメクジのように止まらず急がず、しかも一気に登る。下半身の関節、主に股関節を緩める感覚が有効だったと思う。太極拳の姿勢や動きが安定してきたのも、これと無関係ではないだろう。

 

 駅から仕事場まで大した距離ではないが、脳内訓練として、太極拳の動きや用法などを考えるのも楽しい。つい無意識に手がヒラヒラ動いたりするのは誰でも経験していると思う。

 

 

 転職に当たって、協会の三浦専務理事や仲間には「新しい仕事に慣れるまで休みます」と言って了解を得た。最初の会社も慣れるまで半年かかったので、今度もそのぐらいだろうと思っていた。

 

 実際、ほぼ半年後の1976年秋には協会に復帰した。

 

 その時、羽田教室は続いていたのかハッキリしないが、私は戻らなかった。なぜかは覚えていない。太極拳のリハビリに専念していたのか。

 

 そのころ千代田総合体育館での長拳系の練習は始まっており、いつからか私もそちらに参加する。

 

 詳しい内容は別稿で。

 

 

 

2020年9月 2日 (水)

かつしか教室(2020年10月)

新型コロナ禍は長期化しそうな様相です。
引き続き細心の注意の上、ご参加ください。

10/08、10/22は久々に男女平等推進センター・多目的ホールでの稽古となります。
武器練習もある程度できますので、ご利用ください。


【ご注意】

☆ 健康状態や濃厚接触の有無など、不安をお持ちの方は参加をご遠慮ください。
  くれぐれも無理しないようお願いします。

☆ なお、教室での練習時には以下のような点に留意してください。

 (1)会場の換気を十分にする
 (2)練習前後の手洗い、手指の消毒
 (3)マスクの着用(場合によって)
 (4)お互いの距離を保つ(推手、対打の自粛など)

 各自工夫して柔軟に対処していただければと思います。よろしくお願いいたします。


★★★★★

10/01(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・集会室

10/08(木)男女平等推進センター・多目的ホール

10/15(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・集会室

10/22(木)男女平等推進センター・多目的ホール

10/29(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・集会室

時間 18:30~20:45

お問合せや見学のご連絡は sonkaken@gmail.com までお願いいたします。
なお、各練習会場は当団体とは関係ありませんので、練習会場への電話などのお問合せはご遠慮ください。


■ 立石地区センター別館(勤労福祉会館)(サイトは こちら です)

住所:〒124-0012 東京都葛飾区立石3-12-1(勤労福祉会館併設)
交通:京成電鉄 京成立石駅下車 徒歩10分

   他に京成バス(それぞれのサイト参照)


■男女平等推進センター(サイトは こちら です)

住所:〒124-0012 東京都葛飾区立石5-27-1 
交通:京成電鉄 お花茶屋駅 徒歩8分
        立石駅 徒歩10分
        青砥駅 徒歩13分

   他に都バス、京成バス(それぞれのサイト参照)

 

★★★★★(後藤)

 

«かつしか教室練習日記(2020年8月27日)

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