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2017年12月 7日 (木)

拝師式

12月3日(日)に、孫家門第三代後藤英二の収徒儀式(拝師式)を行いました。
私が正式に弟子をとるのはこれが最初です。
孫家拳の修行歴32年から6年まで、12名が拝師しました。

拝師式催行に当たっては、バランスアカデミー(日本雲游拳房)主宰の片桐陽先生に、式の内容について全面的にご教示いただきました。
ここにお礼申し上げます。

また、引師、保師を引き受けてくださった中京支部の三輪修二先生にも感謝いたします。

式は日本孫氏太極拳研究会恒例の一日練習会の中で行われ、練習会参加者が参列者となりました。ありがとうございました。

私が孫剣雲老師から孫氏太極拳を学ぶことになったのは1979年のことで、日本孫氏太極拳研究会を創立したのが1983年、それから正式に孫氏太極拳を教えることになったわけですが、今まで「収徒=拝師を受ける=弟子をとる」ということはとりたてて考えてきませんでした。

一年半ほど前に、何人かの学生(正式弟子でない生徒)さんから「弟子はとらないのか」「とった方が良いのでは」という話があり、いろいろ考えた末に、拝師式を行うことにしました。
孫家拳の伝承にプラスになるように思えたし、学生の意識が変わるかもしれないとも思えたからです。
拝師すれば、徒弟(弟子)と師父(師匠)の双方に責任が生じます。私の意識にも変化があるかもしれません。

文化大革命・四人組時代は、伝統武術も「封建的」と言うレッテルを貼られ、伝統武術家は何人も粛清され弾圧され、息を潜めていたようです。
日中国交正常化後に、政府から認められた何人かの伝統武術家だけが外国人に教えていました。
(中国から見た)外国人が教わってきたのはいわゆる制定拳で、人民の体育向上のために改変されたものでした。
制定拳はよりやり易くされ、太極拳の普及という点で貢献しましたが、伝統武術としての風格はどうなったでしょうか。
私が最初に訪中したのは1975年ですが、この時教わった伝統武術家の一人は、「太極拳は技撃ではない」と明言していました。
中国政府の招待による太極拳訪中学習団には国家体育委員会(か武術協会)からお目付け役がついており、そう言わざるを得なかったのかもしれませんが。
もちろん拝師などという言葉すら聞いたことがありませんでした。

私が孫剣雲老師に会って教えを受けることになった1979年は、四人組が打倒され、鄧小平の開放改革政策が進められて、ようやく伝統武術と伝統武術家が日の目を見ることになった時です。
私たちはおそらく、伝統武術復権後はじめて教えを受けた外国人だったと思います。

伝統武術は「封建的」と言うレッテルは取り外されましたが、国家的財産と目され、外国人への教授もかなりの間制限されていました。
その後、少しずつ伝統的なものが見直され復活されてきて、拝師ということもなされるようになってきたようです。

孫剣雲老師は形式的なことにあまり拘る人ではなかったと思います。
私も、「拝師などしなくても私の知っていることは総て教えるから」と常々言われていました。
剣雲老師が弟子をとるようになったのは、弟子側からの要請が大きかったのではないかと推察しています。

1986年に習いに行ったときにちょうど他の弟子が拝師式をした後のようで、「お前もやるか」という感じだったと記憶しています。
その時は日本人だけのごく簡単な式でした。私もそんなに重大なこととは受け止めていなかったように思います。

その後、武術留学などかなり自由に中国で武術を学べるようになり、拝師する方々も増えていきました。
その中で私も拝師の意義をだんだん知るようになってきました。

我々が次の世代に孫家拳を正しく伝承していくには、我々自身の武術の技と意識を向上させていかなければなりません。
また武術は時代とともにあります。孫家拳の変えられない本質は何か、イノベートしていくところは何か、不断の研究が必要と思います。

今回の拝師式で日本孫家拳がどう変わっていくのか変わらないのか、見守っていただければ幸いです。

  日本孫氏太極拳研究会会長 後藤英二

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