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2020年5月 9日 (土)

【私の武術慢歩】 松涛会空手を見る

 小学・中学・高校・大学と、運動部の経験が一切ない。ずっと文化部で通してきた。武術・武道との関りはほとんどない。

 生まれた時から虚弱で、産婆さんが「この子は4歳まで生きられない」と言ったそうだ。しょっちゅうカゼだ気管支炎だ肺炎だと、母親におぶさっての医者通いだった。家族も過保護で、着ぶくれしてあまり外にも遊びに行かなかった。

 小学校に上がって、昼休みになると他のみんなは食事もそこそこにいなくなる。こちらは弁当を食べるのが遅いので(昔の田舎では給食がなかった)、教室にポツンと取り残される。
 ある日の昼休み、校内をうろうろしていて体育館に行くと、みんな走り回って遊んでいるではないか。なるほど昼休みは遊ぶものなのだと分かり、少しずつ混じって体を動かすうちに、運動すると体が暖かくなるということを学んだ。
 
 小学校の校庭の隅に、盛り土して四方柱に屋根を乗せた立派な土俵があった。毎年そこで相撲大会が行われたが、そもそも勝とうとか思っていないが投げられれば痛いし、体を固くして投げられないようにしていたと思う。

 大相撲は若乃花、栃錦の時代だったと思う。まだ家にテレビが無かったので、ラジオで聞くか他所の家にテレビを見せてもらいに行くかだった。まあ面白かった。
 プロレスもみんな結構好きなようだったが、私はあまり好きではなく、友達の話を聞いているぐらいだった。
 
 中学校では冬になると格技の授業があった。剣道をやる学校もあったのかもしれないが、そこでは柔道だった。秋田県の豪雪地帯で、古い体育館の戸の隙間から雪が吹き込んで、積もっている中で畳を敷いて授業をする。寒くてたまらないし足の裏は冷たくて感覚がなくなる。
 運動神経がよろしくないので体育はあまり好きではなく、球技などはからきしだが、マット運動、跳び箱や柔道はそんなに嫌いではなかった。
 筋力がないので担ぎ技など到底無理で、専ら出足払いとか送り足払いとか、力の要らないことばかりやっていた。体落としや支え釣り込み足(たしかヘーシンクの得意技ではなかったか?)は、やろうと思ったがうまくできなかった。

 一度だけ柔道が役に立ったと思ったことがある。理科の授業の準備を当番がするのだが、その時私が当番で大きなガラスの水槽に水を入れて理科室に運ぶ役目だった。
 真冬で水場の簀の子に水が垂れたのが重なって凍り付き、ズルズルに滑りやすくなっており、ツルっと滑って仰向けに転んだ。とっさに後ろ受け身の要領で頭を持ち上げ、水槽を腹の上で水平に抱えて事なきを得た。

 高校でも二年生の頃だと思うが柔道の授業があった。何を教えてくれるわけでもなく、仰向けに並べて寝かせ、足と頭を持ち上げさせて、体重80kg超の体育教師が牛若丸の八艘跳びよろしく踏みつけて行くだけで、くだらない授業だった。

 

 空手を初めて見たのは大学に入ってからである。

 新潟大学は新潟市内・西大畑キャンパスから市郊外の五十嵐浜に移転し、私たちが新キャンパス一期生である。
 新しい校舎はあちこちに砂が吹き溜まっていて、外ももちろん砂だらけ。昼休みになると、地面に砂が溜まったのか、もともと砂場として作られたのか分からないような場所で、空手部が稽古を始める。
 砂に足を取られながら、低い姿勢で走りこむように体を伸ばして拳を出していくのだが、疲れ切ってヘロヘロになっている。
 自分にできるとも思わないし、やる気もさらさら無く、全く関係ない世界としてぼんやり見ているだけだった。

 工学部は専門課程が長岡市にあって、五十嵐キャンパスの一年半の教養課程の後そちらに移る。校舎は旧長岡高専の古い木造で、ボロボロの長屋のようだった。私が卒業して何年かして、五十嵐に統合される。

 ちょうど『燃えよドラゴン』のころだったと思うが、ゼミで卒業研究にとりかかっていて、相棒が空手部のキャプテンだった。ちょうど武術に興味を持ち始めていたころなので、いろんな話を聞いた。

 今は違うようだが、その頃の新潟大学空手部は松涛会という空手で、私が聞きかじって名前だけ知っていた松濤館流とは違う、ということだった。新入生時代に目にした空手も同じだったらしい。

 私には何の知識もなく聞いているだけだった。彼らは青木先生という人から習っているらしく、いろいろ話してくれた。その人が後に新体道を創始する青木宏之氏だと知るのはもっと後のことである。ひょっとしたら新体道はもうできていたのかもしれないが、新体道という言葉をそこで聞いた覚えはない。
 ある日、彼が「本部から人が来て演武会をする」というので見に行った。何人いたのか結構な人数だったと思う。
 「栄光」というのは覚えている。「天真五相」はあったかどうか定かでない。何にせよそれまでイメージしていた空手とはちょっと違う感じがした。

 おそらくそのころ松涛会の師範は江上茂先生で、青木先生は師範代だったのではないかと思う。名著と聞いていた江上茂著『空手道入門』は久しく絶版になっていたが、最近『新装増補版 空手道入門』として復刻された。

 そのころは空手は痛くてキツそうだし、見た目がラクそうなので(失礼)「もしやるなら太極拳か合気道かな」と考えていて、後に新体道と少しでも接点ができるとは思いもよらなかった。
 
 そうこうしているうちに卒業である。就職は東京の会社に決まった。新しい生活はどうなるのか。武術のことなど頭の片隅にもなかった。

 次回はいよいよ東京で太極拳に出会う。


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