« 【私の武術慢歩】 はじめての中国、初めての北京 | トップページ | かつしか教室(2020年7月) »

2020年6月13日 (土)

【私の武術慢歩】 北京での練習開始と歓迎宴

 今回の訪中団の目標は、以下のようなものであった。

 (1)二十四式太極拳を完成に近づける
 (2)八十八式の習得
 (3)推手の習得
 (4)武術基本功を学ぶ
 (5)できれば太極剣を習いたい

 それに中国と中国人の生活を肌で感じたいということもあり、少しでも中国語を習っておきたかったと感じた。

 当時は文化大革命(文革)の真っただ中で、とても素晴らしいものだと外国にも宣伝されており、日本にも特にインテリ層に新中国にあこがれる人多かった。ただその実態はほとんど知られておらず、当時の私もその辺まったく無知だった。

 文化大革命は1966年から1976年まで続いた無産階級文化大革命で、1977年に終結した。名目は「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という文化の改革運動だったが、今は中国共産党内部の権力闘争だったと見なされている。古いもの、伝統的なものは何でも「封建的である」と「打破」の対象となった。有産階級や知識階級が弾圧され、伝統武術家もかなり迫害されたと、後で知ることになる。

 文革は、毛沢東主席の指示の元、四人組(四人帮)と呼ばれた江青、張春橋、姚文元、王洪文の四名が絶大な権力を握り主導した。一番若い王洪文は1973年の10全大会で党副主席・党政治局常務委員に大抜擢され、「ヘリコプター」と言われ、このころ絶頂期だった。
 紅衛兵は毛沢東に主導された学生運動で、武力闘争が過激化し収拾がつかなくなって、膨大な死者が出た。紅少兵は紅衛兵より年少(7歳~14歳)の児童組織で、首に赤いスカーフを巻いていた。隊列を組んでさっそうと街中を行進する様子は、移動中に車の中から何回か目撃した。

 さて、14:30北京市体育館に向かう。
 本日4日の午後、5日午前午後、6日午前の4回で八十八式太極拳を仕上げ、7日は休み、8日午前午後に太極剣、9日午前午後に推手、計8回の練習予定である。

 教授陣は、準備体操をしてくれた李秉慈老師、日本で二十四式の8mmフィルムで見知っていた葉書勲老師、同じく八十八式の劉高明老師(北京工人文化宮業余武術班)、いつも人民帽をかぶっている謝志奎老師、北京武術分会の責任者の劉佐新老師、少年武術団コーチの呉彬老師、北京師範学院教授の李徳印老師(李天驥師の甥)、長身白髪の老武術家・劉晩蒼老師(七十歳ということだ)、メガネの馬長勲老師。
 15:00より17時まで主に八十八式太極拳を練習した。李徳印老師が主導しているように見えた。

 18:00より歓迎宴を開いてくれる。北京飯店の円卓である。
 中華全国体育総会の主催で、趙正洪主席が第一ホストとなる。席は時計回りに、趙正洪、中野、劉国常、武田、馬長勲、葉書勲、後藤、毛伯浩、李徳印、潮田、劉佐新、陳鄂生、三浦(敬称略)の順である。小嶋さんの名前が抜けているのは、私が書き漏らしたか彼の調子が良くなかったのか分からない。

 第一ホストの趙正洪主席の右隣りが第一ゲストの三浦さん、左隣が第二ゲストの中野さん。第一ホストの趙正洪主席の対面に第二ホストの毛伯浩師が来る。通訳の陳さんが第一ゲストを第一ホストと挟む形になる。中国式宴会席順の公式通りで、中国は序列や席次には本当に厳しいと感じる。私は第二ホストの右隣りで、ここで良いのだろうかと思ったが、気にしてもしょうがない。
 ホスト側がゲストの皿に料理を取り分けて気を遣ってくれる。これも作法にかなったやり方。私には優しい葉書勲老師が絶えず取り分けてくれて、「謝謝!」が追い付かない。緊張していて料理に何が出たのかあまり覚えていないが、美味しかった気がする。

 お開きの後、北京首都体育館に移動して、20:00~22:00中国とスイスの体操競技の交流を見学する。

 ホテルに帰って、24:00から総括と称する反省会である。明日に備えて早く寝なければ。

 次回も練習(当時は訓練と呼んでいた)と参観(見学)が続く。


 *****

 

 少し細かすぎるかもしれないが、記録の意味で書けるところはできるだけ書いておこうと思う。ご容赦いただきたい。




« 【私の武術慢歩】 はじめての中国、初めての北京 | トップページ | かつしか教室(2020年7月) »

5.後藤先生のブログ」カテゴリの記事

私の武術慢歩」カテゴリの記事

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ