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2020年6月27日 (土)

【私の武術慢歩】 初期の日本太極拳協会と太極拳学習訪中団

 昔の資料を探していたら、本棚から日本太極拳協会の機関誌『太極』が見つかった。1972年5月の創刊号(下の写真)、同7月の第2号、私の入会以降の1975年5月の第8号以降、欠落はあるが1981年5月の薫風号まである。

 初めの方を少し読んでみたが、忘却や記憶違いが多い。日本太極拳協会の成り立ちや初期の太極拳学習訪中団がどのようであったか、改めて少しばかり書いてみる。

 『太極』創刊号によると、この時の日本太極拳協会役員は次の通り。

 理事長:古井喜実
 理事:江崎真澄、後藤隆之助、友末洋次、三宅正一、
 専務理事:三浦英夫
 理事:渡辺弥栄司、渡辺礼輔、小坂善太郎
 監事以下略。

 政治家や官僚が名を連ねているが、相当の年配者でないとこれらの名前に見覚えはないだろう。

 衆議院議員・古井喜実氏の砂防会館での太極拳学習会と日本武道館事務局長・三浦英夫氏の日本武道館での太極拳学習会はもともと別々にあったが、1969年8月に合体して、日本太極拳協会が設立されたようだ。
 指導者として楊名時師などが当たっており、創刊号、第2号に彼の文が載っている。

 1974年2月に日本中国友好協会(以下日中友好協会と呼ぶ)が「日本体育専門家訪中団」を組織した。「日本太極拳協会で太極拳を習う」の回で、私はこれを第一次太極拳学習訪中団と誤解していた。
 実際の第一次太極拳学習訪中団はその四か月後の1974年6月のことであるらしい。双方に三浦理事長と中野晴美氏が参加している。

 この2回の訪中で学んだ太極拳は、それまで練習していた太極拳と同じ簡化二十四式ではあったが、訪中団員が愕然とするほど違うものに見えたようだ。それでその後の協会での指導は中国政府が定めたものを基準とすることになり、それまでの指導者はだんだんと武道館から足が遠のいたようである。


 私は武道館で楊名時師を一回だけ見た気がするが、記憶違いかもしれない。また、王英儒師という楊澄甫老師の弟子の方には何回か習うことができたが、それはまた別の回で書こうと思う。

 そしてさらに四か月後の10月に私が入会することになる。


 さて、次回はまた北京に戻ろう。

 

 

 

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