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2020年7月

2020年7月25日 (土)

【私の武術慢歩】 魔都?、上海

 16日。朝体をほぐしてから革命公園へ。太極拳や少年たちの基本長拳を見る。

 鐘楼、西安空港、小雁塔をめぐり、ホテルに戻って昼食をとり、再び空港へ。13時半に離陸し、鄭州、南京を経て19時20分上海に到着した。

 空港でかなり待ったあと、21時近くになってようやく宿泊する上海大厦にたどり着く。

 上海大厦は1935年に外灘(バンド)の北部に建てられた上海のシンボル的なホテルである。外白渡橋の先にあって、外灘や黄浦江を一望できる。上海租界時代に「中国人と犬、入るべからず」という看板があったという黄浦公園は、この外白渡橋を渡ってすぐのところにある。

 

 夕食、風呂の後、団長の部屋でミーティングが始まったときは22時半になっていた。団長からの注意は以下のようなものであった。

 技術面では、基本功をやれるところまでやる。八十八式太極拳を帰国してから見せても恥ずかしくないようにせよ。
 精神面では、我々の中国の基本認識、日中友好、日本―中国の問題をキチンと総括せよ。と、こんな感じだった。まあそういう時代だったということだ。

 この時のメモに、「我愛北京天安門」「大海航行靠舵手」という歌の歌詞が書いてある。この頃は毛沢東が政敵を倒し権威を高めるために文革を推し進めていて、ほとんど個人崇拝になっていたのはこうした歌からもうかがえるのだが、当時はそんなことは思ってもみなかった。中国は多くの日本人にとって憧れの国だったのである。

 

 翌日17日朝6時、黄浦公園へ行く。

 9時から秘書長がスケジュールの打ち合わせをし、9時半に発表。

 10時に出発し、上海市内遊覧、上海市第一百貨商店で買い物。

 ホテルに戻って昼食、昼寝の後、訓練交流ということで上海市南市区体育館へ。「熱烈歓迎日本太極拳代表団」の大きな看板があり驚いた。

 

 体育館には、中華全国体育総会上海分会副分会長の吉嘉先生をはじめ、傅鐘文老師、顧留馨老師、周元竜老師、馮如竜老師、播錦生老師、洪雯雯老師など、錚々たるメンバーが揃っていた。
 傅鐘文老師は楊式太極拳の創始者楊露禅の孫・楊澄甫先生の娘婿で、楊式太極拳の継承者である。顧留馨老師は楊澄甫先生の弟子だ。

 

 最初に我々が八十八式太極拳をお見せして、そのあと上海の6人の老師が表演してくれる。北京とはだいぶ趣が違う気がする。

 周元竜老師が我々一人ずつに老師を付けてくれる。私の老師は丁金友老師である。上海業余体育学校の教練で39歳だそうだ。

 丁老師に八十八式太極拳を見ていただく。お尻が出る、胸を張っている、肘が上がるなど、基本的な所を直される。手(上半身)と足(下半身)の動きを一致させるようにとのことであった。

 小島さんは主に長拳系の基本功を習っている。

 

 明日から本格的に訓練が始まる。半日訓練、半日参観のスケジュールだ。

 思えば、当初の予定通りなら今日帰国していたはずだ。なんだか妙な気分である。

 ともあれ、上海での活動はまだまだ続く。

 

 

2020年7月18日 (土)

【私の武術慢歩】 悠久の都、西安

 西安は陝西省の省都である。古くは長安と呼ばれていた。西周から秦、漢などを経て十三代にわたり都であり続けた。漢代に「長安」と名づけられ、隋・唐の時代は日本の知識人の憧れであった。平安京のモデル、遣隋使・遣唐使、またシルクロードの起点として日本人には知られている。明代に「西安」と命名され、現在に至る。

 

 15時から参観。西安市博物館を経て大雁塔に向かう。西遊記でおなじみの玄奘三蔵の設計らしい。上に登って市内を眺めると、大雁塔から放射状に道路が伸びて、特に西には真っ直ぐな道路がはるか彼方に続いている。曇り空にバニシング・ポイントがかすんで、その先のシルクロードに思いを馳せる。

 ホテルは西安賓館である。誰かが「西安は中国で二番目に食事がマズイと言われている」と言っていたが、ホテルの夕食はそんなことはなかった。

 

 翌15日、朝練後朝食。8時半にホテルを出発し、武術訓練チームを参観する。

 何人いたか定かでないが、10~20人ぐらいの選手が、絨毯を敷いたコートの対角線上を進みながら技を出していく。対角線の端まで行ったら隣の角まで走って、クロスした対角線上を進むことを、技を替えながら延々と続ける。

 我々が太極拳学習団だからだろう、まず基本動作を見せてくれる。突きや蹴り、跳躍技など36種類!その後それを各々が違う組み合わせで行う。基本動作と言ってもかなり複雑なものも多く、とにかくすごい。

 その後表演に入る。

 長拳、地尚拳、太極拳、剣、棍、刀、槍、三節棍、対練は拳(男)、銃剣同士(男)、槍(男)対双匕首(女)、三節棍(男)対棍(女)、集団の剣など15種目に及び、圧巻だった。

 我々の世代では、趙長軍選手は中国武術隊のエースで、「趙長軍と言えば地尚拳、地尚拳と言えば趙長軍」というほどの名手であり、日本では李連傑(ジェット・リー)より早く知られていた。映画『少林寺』の主役も、断らなければ趙長軍になっていたという話もある。

 彼は西安の出身でこのとき15歳、陝西省武術隊のメンバーだった。地尚拳を演じた男子は少年武術団のメンバーと紹介されていたので、趙長軍だった可能性が高いと思う。

 

 選手たちは業余体育学校の生徒たちで、13~22歳。よく見ると顔立ちが日本人に少し似ているようで、北京などよりおっとりした感じでずいぶん違って見え、女子は昔の長安美人はかくや、と思わせる。

 

 午後は半坡博物館へ。6~7千年まえの新石器時代の遺跡、半坡遺址の遺物などを展示している。半坡遺址は5万平方メートルの広さで、1954年から1957年にかけて発掘された。

 続いて、かの有名な兵馬俑を見学する。一部なのだろうが、実際に肉眼で見ると壮観である。

 

 その後華清池へ。古くからの温泉地で、唐の玄宗が楊貴妃のために離宮を作った。「池」は温泉の意で、玄宗が入った九竜池、楊貴妃が湯浴みをした楊妃池などがあると言う。1959年に唐の時代の形を模して作ったそうで、入浴させてもらった。温泉は43度の硫黄泉で、3千年の歴史がある。

 「火鏡」という名の柿が有名だそうで、ここでごちそうになる。柘榴も名産だそうだが、もう時期が終わっていた。

 

 1936年、蒋介石が張学良らに拉致監禁される、いわゆる西安事件が起きたのもこの華清池である。「この窓から蒋介石が逃げようと身を乗り出したところを捕まりました」と説明があったが、蒋介石は裏山まで逃げてから捕まったという話もある。

 

 夜は歓迎会である。

 テーブルには、ビールのグラス、脚付きのワイングラス、それを小さくした同じ形のグラスが置いてある。最後のは何のグラスかと思ったら、白酒(バイジュウ=高粱などが原料の中国の蒸留酒)を入れるものだった。水のグラスもあったかもしれない。これが正式な宴会仕様なのだろうか。

 

 中国の宴会はやたら乾杯が多い。日本ではだいたい全員で乾杯するが、中国ではあらたまって一言挨拶して全員でやるほかに、そこかしこで個人同士の乾杯が始まる。乾杯は文字通り杯を乾すことで、注いである酒を飲み切らなければならない。そしてお互いに杯(グラス)を相手側に逆さにして飲み干したことを示す。乾杯したのに飲み干さないと失礼になるそうだ。

 まず団長の三浦さんに茅台酒の乾杯が行くわけだが、何を思ったか「後藤君、代りに受けてくれ」と言う。団長命令なのでしょうがなく従うが、私は酒が弱い。乾杯(ガンベイ)ならぬ半杯(バンベイ)ということで、飲み干さなくても良いということにしてもらう。

 茅台酒は米中正常化で毛沢東主席がニクソン大統領と会った時に出たので一気にメジャーになった。それ以降VIPにはたいがい茅台酒が出ることになったようだ。しかし中国には他にも良い白酒はいっぱいあって、私は茅台酒より五糧液の方が好きだ。

 

 私がごまかしながら飲んでいるうちに、小島さんが先に酔ってしまい、意識が朦朧としている。宴会が終わってから治療を受けることになった。

 人中(経穴名は水溝)にかなり深く太い鍼を入れていく。その後、十本の指先(経穴名は十宣)に太い鍼を刺し小さな豆粒上に血を絞り出す。点滴もしていたようである。

 これですっかり酔いが醒めて目がバッチリ開く。翌朝聞くと、そのあと眠れなかったそうだ。中国医学の力を目にしたのは初めてのことであった。

 

 明日は一路上海に向かう。

 

2020年7月14日 (火)

恵比寿教室練習日記(2020年7月10日)

前回7/10(金)の恵比寿教室練習日記です。
恵比寿教室は前週7/3からの再開でしたが、当日の参加者は先生含め8名となかなかの盛況でした。

 

当日の会場でこの人数だと、ソーシャルディスタンスは何とか維持可能というところです。
コロナ禍以前、この部屋では時に十数名が一緒に稽古していたわけですが、当時の人口密度の高さを実感させられます。

そのため、当日私は距離を意識しつつ、五行拳、一部の十二形拳、最近少し進んだ八卦掌定歩などをコンパクトに練習しました。他の方々は五行拳や形意拳の蛇形、八卦掌変掌などを練習されていました。


そして、先生のご指摘により、私の崩拳はまた妙な挙動になっていることが判明しました。
主な課題は肘の落としが足りていない点のようです。崩拳は一見すると、拳を突き出しながら前進しているだけの単純そうな型ですが、気を付けるべき点は多く、私には劈拳と並んで難しく感じられます。

自分の動作というものは、気を付けているつもりでも、いつの間にか無意識に変化しているようで、ともかく何度でも動作を再度意識化して少しずつでも正しい方向に修正していくしかなさそうです。後日太極拳などを練習していたら、肘の落ちや手の形は崩拳以外の套路でも結構曖昧な気がしてきたので、これを機に見直そうと思いました。

 

柔軟な対応も兵法のうち…ということで、今後も状況に適切に対処しながら稽古を続けていきたいと思います。

 

<<K野>>

2020年7月11日 (土)

【私の武術慢歩】 革命の聖地・延安

 10日の夜は先生方を招いて、答礼宴を開いた。会場は豊澤園。北京料理の産みの親とも言われる老舗だとは当時知らなかった。知らないことだらけだ。

 11日晴れ、北京最終日となった。
 朝北京飯店を出て北京空港へ。毛伯浩先生、劉佐新老師、李秉慈老師、葉書勲老師、謝志奎老師が見送りに来てくださった。

 双発のプロペラ機で1時間ほど飛び山西省太原に着く。1時間余り後に再び出発。円形の虹の中に飛行機の影が見える。地上では見ることがないから驚いたが、考えてみれば当たり前のことだ。などと思っているうちに茶色の禿山が連なって、奥地に入り込んでいる感じがする。太原から1時間足らずで延安に到着した。

 1934年から1936年にかけて紅軍(中国共産党)は国民党と転戦しつつ江西省から1万2千5百キロの道のりを踏破して陝西省延安に至り、ここを本拠地にする。1947年まで中国共産党中央委員会がここに置かれ、毛沢東が党内の実権を確かなものにし、「革命の聖地」と呼ばれるようになった。『矛盾論』もここで執筆された。

 延安賓館で部屋を割り当てられ少し休息した後、革命記念館を見学する。
 夜は歓迎会で、日本風の赤飯や甘い粟餅、地酒の白酒「西方の酒」が出た。

 翌12日は南泥湾(ナンニーワン)幹部学校へ行き、革命委員会主任などの話を聞く。

 南泥湾は延安南部にあり、抗日戦争の拠点となった場所である。国民党軍の包囲により食糧や日用品を絶たれて、大生産運動により肥沃な土地に変えたそうだ。周りは見るからに荒れ地で、とても肥沃には思えないけれど。

 北京で「自力更生、克苦奮闘」というスローガンをあちこちで見かけたが、毛沢東が大生産運動を指揮した時のものらしい。
 当時の旅団の老人や幹部など何人かに話を聞いた。革命の様子や理念などを熱っぽく語ってくれる。素直な青年だった私は感心して聞いていた。

 13日は、毛主席旧居、中央大講堂など革命旧跡の見学。鳳凰山、楊家岭、棗園、王家坪など。岩を掘って住居にしているところも見た。
 夜は答礼宴である。茅台酒を飲む。小嶋さんが機嫌よく歌う。

 14日午前、柳林人民公社へ。党支部副書記長の話。

 12時45分、延安をまた双発機で出発し、50分程度で西安に着いた。

 延安での活動は一口で言うと中国共産革命教育ということだったと思う。

 しかし覚えているのは、トイレは和式で、トイレットペーパーがゴワゴワした灰色の手漉き紙だったとか、中国で初めて犬を見たとか、朝、家の前で洗面器のようなものを抱えてお粥のようなものを食べている小さな女の子の姿だとか、風景は茶色の印象しかない。
 そして、武術の「ぶ」の字も無かった。

 次回は悠久の都西安(長安)の話。

 

2020年7月 4日 (土)

【私の武術慢歩】 北京の参観

 北京飯店の朝食には白粥が出た。

 小さいころ病気の時に母親が作ってくれたお粥はねっとりと濃く、あまり好きではなかったのだが、ここのお粥は粘りがなくサラサラとしていて、米粒はとても柔らかいが崩れていない。それに味噌か醤油の漬物を刻んで一緒に食べると美味しくて気に入ってしまった。漬物は田舎のものとよく似ている。腐乳も少しだけ入れると美味しい。

 ほかに油条(ヨウティアオ=捻じった揚げパン)、花巻(ホアジアル=マントウ(具のない饅頭の高級版でヒダヒダが花のように見える)、スープなどが出た。お粥はまだ起きていない胃腸に優しいものを食べるという、医食同源の国らしい説明があった。

 夕食はほとんど北京飯店だったと思う。メニューはあまり覚えていないが、少しも脂っこいことはなく美味しかった。食べたときは分からなかったが、初めてフカヒレも食べた。


 北京飯店では、河原崎長十郎と永六輔を見た。民間外交はいろいろな方面で盛んなようだ。

 

 練習の合間に、いろいろ参観(見学)がある。

 6日午後には工人体育場でマスゲームを見た。工人とは労働者のことだという。ここは全国体育大会をやったところで、8万人の観客が入るそうだ。

 グランドでは1万5千人のマスゲームが行われ、観客席では1万人が大きなスケッチブックのようなものを掲げ、絵を変えていくことでアニメーションになる。軍艦から砲弾を打ち出して水柱が上がったり、よくできている。あまりに揃っているので指揮者がどこかにいるのかと思ったが、分からなかった。

 合わせて2万5千人は中学生が中心で、小学生や人民解放軍も交じっているそうだ。これほど大規模のものは10年に一度しか見られないとのことである。準備にも1年を要したそうだ。

 イメージしにくいと思うが、北朝鮮が今やっているものを想像していただければよさそうである。

 後で聞いたが、同じ時間に毛沢東主席が会場に来ていたそうだ。
 彼はこの翌年1976年9月9日に82歳で亡くなる。ほどなく四人組が失脚し、華国鋒が彗星の如く現れる。

 

 7日は快晴で、青空が高い。「天高く馬肥ゆる秋」という言葉がすぐ浮かぶ。秋は好天が続き行軍しやすく、馬の餌もよく採れ栄養がいきわたるので、塞外からの攻撃に一段と備えなければならない、というのが元の意味らしい。

 この日は朝近くの公園で練習した後、万里の長城へ行く。八達嶺から長城を登り塞外を見渡せば、はるか昔が偲ばれる。長城に登ると太極拳のポーズで写真を撮りたくなるのはお約束である。

 その後、明の十三陵に行く。街でもそこかしこで香っていたが、ここでは金木犀の香りが特に強かった。長陵や地下宮の定陵を見学する。

 16時前には北京に戻り、友諠商店で買い物をする。3階の売り場に英語を勉強しているという女子がいて、少し話した。目がキラキラ輝いている。

 この後いろいろな所で見ることになるが、ホテルや百貨店のエレベータにはたいがい若い係員がいてボタンを操作してくれるのだが、暇なときは小さな木の椅子に腰かけて毛沢東語録を読んでいる。そういう若者たちが理想に燃えて、目が本当に輝いているのである。

 「輝いている目」など、日本ではマンガか小説でしか見たことがない。

 その時は目が輝いているなんて素晴らしいと感じたが、後から思うとかなり危うい状態であろう。文革もこういう目をした若者たちが起こしたのだと考えると、怖くなる。

 なお、鄧小平の改革開放以降の中国でこんな目を見ることは、二度となかった。

 

 10日の午後は北京業余体育学校を訪問した。1958年に毛主席の指示で開校し、生徒数は千余人。スポーツ9種目の中に囲碁が入っている。頭のスポーツということらしい。武術ももちろん入っている。
 体育以外は少年宮で音楽、美術、舞踊をやっており、形態は業余体育学校とほとんど変わらないそうだ。

 

 北京での活動も大詰めを迎え、明日は延安に向かう。


2020年7月 1日 (水)

かつしか教室(2020年8月)

葛飾区の施設の利用制限はほぼ解除されましたが、気を緩めることなく練習していきましょう。

☆ 健康状態や濃厚接触の有無など、不安をお持ちの方は参加をご遠慮ください。
  くれぐれも無理しないようお願いします。

☆ なお、教室での練習時には以下のような点に留意してください。

 (1)会場の換気を十分にする
 (2)練習前後の手洗い、手指の消毒
 (3)マスクの着用(場合によって)
 (4)お互いの距離を保つ(推手、対打の自粛など)

 各自工夫して柔軟に対処していただければと思います。よろしくお願いいたします。


★★★★★

8/06(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・集会室
8/13(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・多目的室
8/20(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・集会室
8/27(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・集会室

時間 18:30~20:45

お問合せや見学のご連絡は sonkaken@gmail.com
までお願いいたします。
なお、各練習会場は当団体とは関係ありませんので、練習会場への電話などのお問合せはご遠慮ください。


■ 立石地区センター別館(勤労福祉会館)(サイトは こちら です)

住所:〒124-0012 東京都葛飾区立石3-12-1(勤労福祉会館併設)
交通:京成電鉄 京成立石駅下車 徒歩10分

   他に京成バス(それぞれのサイト参照)

★★★★★(後藤)

 

かつしか教室練習日記(2020年6月分)

久々の教室練習日記です。
当ブログでは後藤先生の「私の武術慢歩」が好評連載中ですが、かつしか教室は6月頭から活動を再開したので、 会の活動報告がてら教室の練習日記も再開します(掲載ペースは不定期かもしれませんが…)。


というわけで、今回は6月のかつしか教室の練習の様子です。世間では新たな生活様式を示すニューノーマルなる言葉がはやっているようですが、室内における武術稽古も同様…ということで、諸々注意しながら稽古しました。

比較的広い会場に対し、毎回の参加者は先生をのぞき3~5名ほど、基本的には各人が距離を取り、必要に応じてマスクも着用しつつ、自分のペースでひとり用の套路を行う、という形態のため、ソーシャルディスタンスは完璧です。


一方で新たな生活様式もとい新たな稽古様式の試みも行われました。
それは、いうなれば「エアー対練(仮)」であります。お互い2メートル程離れて向かい合い、この距離を保ったまま、通常は相手に触れつつ行う対練套路を、相手に触れずに行うというものです。
「エアー四正推手」や「エアー安身炮」を実施しましたが、どちらも通常は相手との接触に自然と反応して動いている部分を想像力で補わねばならないので、なかなか難しかったです。しかし、何度かやっていたら一応それらしくなってきました。

 

触れられてもいないのに懸命に回避動作をしたりするため、傍から見ていると不思議な光景かもしれない点が難点ですが、練習としても、相手の動作により注意を向ける、普段何気なく行っている自分の動作イメージを明確にするなどの役に立ちそうな気がしました。
個人的にエアー推手はひとり用稽古法としても気に入ったので、日々の練習メニューに追加しました。

また、武器を持つと自然と距離が取れるので、エアーではない対練として、剣の推手のような練習も前回(6/25)は行われました。私は武器を忘れたので実施できませんでしたが、これも良い練習になりそうです。

 

私も自粛期間中は自室や近所の河原などで黙々と自主練習していましたが、こうして6月参加してみて、やはり教室での練習は良いものだと改めて思いました。
6月も休止中だった恵比寿教室も今週末から再開とのこと。今後も状況の変化に適切に対応しながら稽古を進めていきたいと思います。

<<K野>>

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