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2020年7月11日 (土)

【私の武術慢歩】 革命の聖地・延安

 10日の夜は先生方を招いて、答礼宴を開いた。会場は豊澤園。北京料理の産みの親とも言われる老舗だとは当時知らなかった。知らないことだらけだ。

 11日晴れ、北京最終日となった。
 朝北京飯店を出て北京空港へ。毛伯浩先生、劉佐新老師、李秉慈老師、葉書勲老師、謝志奎老師が見送りに来てくださった。

 双発のプロペラ機で1時間ほど飛び山西省太原に着く。1時間余り後に再び出発。円形の虹の中に飛行機の影が見える。地上では見ることがないから驚いたが、考えてみれば当たり前のことだ。などと思っているうちに茶色の禿山が連なって、奥地に入り込んでいる感じがする。太原から1時間足らずで延安に到着した。

 1934年から1936年にかけて紅軍(中国共産党)は国民党と転戦しつつ江西省から1万2千5百キロの道のりを踏破して陝西省延安に至り、ここを本拠地にする。1947年まで中国共産党中央委員会がここに置かれ、毛沢東が党内の実権を確かなものにし、「革命の聖地」と呼ばれるようになった。『矛盾論』もここで執筆された。

 延安賓館で部屋を割り当てられ少し休息した後、革命記念館を見学する。
 夜は歓迎会で、日本風の赤飯や甘い粟餅、地酒の白酒「西方の酒」が出た。

 翌12日は南泥湾(ナンニーワン)幹部学校へ行き、革命委員会主任などの話を聞く。

 南泥湾は延安南部にあり、抗日戦争の拠点となった場所である。国民党軍の包囲により食糧や日用品を絶たれて、大生産運動により肥沃な土地に変えたそうだ。周りは見るからに荒れ地で、とても肥沃には思えないけれど。

 北京で「自力更生、克苦奮闘」というスローガンをあちこちで見かけたが、毛沢東が大生産運動を指揮した時のものらしい。
 当時の旅団の老人や幹部など何人かに話を聞いた。革命の様子や理念などを熱っぽく語ってくれる。素直な青年だった私は感心して聞いていた。

 13日は、毛主席旧居、中央大講堂など革命旧跡の見学。鳳凰山、楊家岭、棗園、王家坪など。岩を掘って住居にしているところも見た。
 夜は答礼宴である。茅台酒を飲む。小嶋さんが機嫌よく歌う。

 14日午前、柳林人民公社へ。党支部副書記長の話。

 12時45分、延安をまた双発機で出発し、50分程度で西安に着いた。

 延安での活動は一口で言うと中国共産革命教育ということだったと思う。

 しかし覚えているのは、トイレは和式で、トイレットペーパーがゴワゴワした灰色の手漉き紙だったとか、中国で初めて犬を見たとか、朝、家の前で洗面器のようなものを抱えてお粥のようなものを食べている小さな女の子の姿だとか、風景は茶色の印象しかない。
 そして、武術の「ぶ」の字も無かった。

 次回は悠久の都西安(長安)の話。

 

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