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2020年7月18日 (土)

【私の武術慢歩】 悠久の都、西安

 西安は陝西省の省都である。古くは長安と呼ばれていた。西周から秦、漢などを経て十三代にわたり都であり続けた。漢代に「長安」と名づけられ、隋・唐の時代は日本の知識人の憧れであった。平安京のモデル、遣隋使・遣唐使、またシルクロードの起点として日本人には知られている。明代に「西安」と命名され、現在に至る。

 

 15時から参観。西安市博物館を経て大雁塔に向かう。西遊記でおなじみの玄奘三蔵の設計らしい。上に登って市内を眺めると、大雁塔から放射状に道路が伸びて、特に西には真っ直ぐな道路がはるか彼方に続いている。曇り空にバニシング・ポイントがかすんで、その先のシルクロードに思いを馳せる。

 ホテルは西安賓館である。誰かが「西安は中国で二番目に食事がマズイと言われている」と言っていたが、ホテルの夕食はそんなことはなかった。

 

 翌15日、朝練後朝食。8時半にホテルを出発し、武術訓練チームを参観する。

 何人いたか定かでないが、10~20人ぐらいの選手が、絨毯を敷いたコートの対角線上を進みながら技を出していく。対角線の端まで行ったら隣の角まで走って、クロスした対角線上を進むことを、技を替えながら延々と続ける。

 我々が太極拳学習団だからだろう、まず基本動作を見せてくれる。突きや蹴り、跳躍技など36種類!その後それを各々が違う組み合わせで行う。基本動作と言ってもかなり複雑なものも多く、とにかくすごい。

 その後表演に入る。

 長拳、地尚拳、太極拳、剣、棍、刀、槍、三節棍、対練は拳(男)、銃剣同士(男)、槍(男)対双匕首(女)、三節棍(男)対棍(女)、集団の剣など15種目に及び、圧巻だった。

 我々の世代では、趙長軍選手は中国武術隊のエースで、「趙長軍と言えば地尚拳、地尚拳と言えば趙長軍」というほどの名手であり、日本では李連傑(ジェット・リー)より早く知られていた。映画『少林寺』の主役も、断らなければ趙長軍になっていたという話もある。

 彼は西安の出身でこのとき15歳、陝西省武術隊のメンバーだった。地尚拳を演じた男子は少年武術団のメンバーと紹介されていたので、趙長軍だった可能性が高いと思う。

 

 選手たちは業余体育学校の生徒たちで、13~22歳。よく見ると顔立ちが日本人に少し似ているようで、北京などよりおっとりした感じでずいぶん違って見え、女子は昔の長安美人はかくや、と思わせる。

 

 午後は半坡博物館へ。6~7千年まえの新石器時代の遺跡、半坡遺址の遺物などを展示している。半坡遺址は5万平方メートルの広さで、1954年から1957年にかけて発掘された。

 続いて、かの有名な兵馬俑を見学する。一部なのだろうが、実際に肉眼で見ると壮観である。

 

 その後華清池へ。古くからの温泉地で、唐の玄宗が楊貴妃のために離宮を作った。「池」は温泉の意で、玄宗が入った九竜池、楊貴妃が湯浴みをした楊妃池などがあると言う。1959年に唐の時代の形を模して作ったそうで、入浴させてもらった。温泉は43度の硫黄泉で、3千年の歴史がある。

 「火鏡」という名の柿が有名だそうで、ここでごちそうになる。柘榴も名産だそうだが、もう時期が終わっていた。

 

 1936年、蒋介石が張学良らに拉致監禁される、いわゆる西安事件が起きたのもこの華清池である。「この窓から蒋介石が逃げようと身を乗り出したところを捕まりました」と説明があったが、蒋介石は裏山まで逃げてから捕まったという話もある。

 

 夜は歓迎会である。

 テーブルには、ビールのグラス、脚付きのワイングラス、それを小さくした同じ形のグラスが置いてある。最後のは何のグラスかと思ったら、白酒(バイジュウ=高粱などが原料の中国の蒸留酒)を入れるものだった。水のグラスもあったかもしれない。これが正式な宴会仕様なのだろうか。

 

 中国の宴会はやたら乾杯が多い。日本ではだいたい全員で乾杯するが、中国ではあらたまって一言挨拶して全員でやるほかに、そこかしこで個人同士の乾杯が始まる。乾杯は文字通り杯を乾すことで、注いである酒を飲み切らなければならない。そしてお互いに杯(グラス)を相手側に逆さにして飲み干したことを示す。乾杯したのに飲み干さないと失礼になるそうだ。

 まず団長の三浦さんに茅台酒の乾杯が行くわけだが、何を思ったか「後藤君、代りに受けてくれ」と言う。団長命令なのでしょうがなく従うが、私は酒が弱い。乾杯(ガンベイ)ならぬ半杯(バンベイ)ということで、飲み干さなくても良いということにしてもらう。

 茅台酒は米中正常化で毛沢東主席がニクソン大統領と会った時に出たので一気にメジャーになった。それ以降VIPにはたいがい茅台酒が出ることになったようだ。しかし中国には他にも良い白酒はいっぱいあって、私は茅台酒より五糧液の方が好きだ。

 

 私がごまかしながら飲んでいるうちに、小島さんが先に酔ってしまい、意識が朦朧としている。宴会が終わってから治療を受けることになった。

 人中(経穴名は水溝)にかなり深く太い鍼を入れていく。その後、十本の指先(経穴名は十宣)に太い鍼を刺し小さな豆粒上に血を絞り出す。点滴もしていたようである。

 これですっかり酔いが醒めて目がバッチリ開く。翌朝聞くと、そのあと眠れなかったそうだ。中国医学の力を目にしたのは初めてのことであった。

 

 明日は一路上海に向かう。

 

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