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2020年7月 4日 (土)

【私の武術慢歩】 北京の参観

 北京飯店の朝食には白粥が出た。

 小さいころ病気の時に母親が作ってくれたお粥はねっとりと濃く、あまり好きではなかったのだが、ここのお粥は粘りがなくサラサラとしていて、米粒はとても柔らかいが崩れていない。それに味噌か醤油の漬物を刻んで一緒に食べると美味しくて気に入ってしまった。漬物は田舎のものとよく似ている。腐乳も少しだけ入れると美味しい。

 ほかに油条(ヨウティアオ=捻じった揚げパン)、花巻(ホアジアル=マントウ(具のない饅頭の高級版でヒダヒダが花のように見える)、スープなどが出た。お粥はまだ起きていない胃腸に優しいものを食べるという、医食同源の国らしい説明があった。

 夕食はほとんど北京飯店だったと思う。メニューはあまり覚えていないが、少しも脂っこいことはなく美味しかった。食べたときは分からなかったが、初めてフカヒレも食べた。


 北京飯店では、河原崎長十郎と永六輔を見た。民間外交はいろいろな方面で盛んなようだ。

 

 練習の合間に、いろいろ参観(見学)がある。

 6日午後には工人体育場でマスゲームを見た。工人とは労働者のことだという。ここは全国体育大会をやったところで、8万人の観客が入るそうだ。

 グランドでは1万5千人のマスゲームが行われ、観客席では1万人が大きなスケッチブックのようなものを掲げ、絵を変えていくことでアニメーションになる。軍艦から砲弾を打ち出して水柱が上がったり、よくできている。あまりに揃っているので指揮者がどこかにいるのかと思ったが、分からなかった。

 合わせて2万5千人は中学生が中心で、小学生や人民解放軍も交じっているそうだ。これほど大規模のものは10年に一度しか見られないとのことである。準備にも1年を要したそうだ。

 イメージしにくいと思うが、北朝鮮が今やっているものを想像していただければよさそうである。

 後で聞いたが、同じ時間に毛沢東主席が会場に来ていたそうだ。
 彼はこの翌年1976年9月9日に82歳で亡くなる。ほどなく四人組が失脚し、華国鋒が彗星の如く現れる。

 

 7日は快晴で、青空が高い。「天高く馬肥ゆる秋」という言葉がすぐ浮かぶ。秋は好天が続き行軍しやすく、馬の餌もよく採れ栄養がいきわたるので、塞外からの攻撃に一段と備えなければならない、というのが元の意味らしい。

 この日は朝近くの公園で練習した後、万里の長城へ行く。八達嶺から長城を登り塞外を見渡せば、はるか昔が偲ばれる。長城に登ると太極拳のポーズで写真を撮りたくなるのはお約束である。

 その後、明の十三陵に行く。街でもそこかしこで香っていたが、ここでは金木犀の香りが特に強かった。長陵や地下宮の定陵を見学する。

 16時前には北京に戻り、友諠商店で買い物をする。3階の売り場に英語を勉強しているという女子がいて、少し話した。目がキラキラ輝いている。

 この後いろいろな所で見ることになるが、ホテルや百貨店のエレベータにはたいがい若い係員がいてボタンを操作してくれるのだが、暇なときは小さな木の椅子に腰かけて毛沢東語録を読んでいる。そういう若者たちが理想に燃えて、目が本当に輝いているのである。

 「輝いている目」など、日本ではマンガか小説でしか見たことがない。

 その時は目が輝いているなんて素晴らしいと感じたが、後から思うとかなり危うい状態であろう。文革もこういう目をした若者たちが起こしたのだと考えると、怖くなる。

 なお、鄧小平の改革開放以降の中国でこんな目を見ることは、二度となかった。

 

 10日の午後は北京業余体育学校を訪問した。1958年に毛主席の指示で開校し、生徒数は千余人。スポーツ9種目の中に囲碁が入っている。頭のスポーツということらしい。武術ももちろん入っている。
 体育以外は少年宮で音楽、美術、舞踊をやっており、形態は業余体育学校とほとんど変わらないそうだ。

 

 北京での活動も大詰めを迎え、明日は延安に向かう。


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