« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »

2020年8月

2020年8月29日 (土)

【私の武術慢歩】 長拳系の練習と羽田先生

 前回、王英儒先生の著書のことを書いたが、タイトルは『健全なる人生の真理』だったと思われる。

 

 1975年だと思うが(ひょっとしたら1974年の暮れかもしれない)、練習の時に三浦専務理事が一人の男性を伴って現れ、紹介してくれた。羽田先生と言って、帰国した中国残留日本人孤児だと言うことだった。

 

 終戦時に旧満州(中国東北部)には150万人ほどの日本人がいたが、終戦の混乱とソ連の参戦・侵攻もあって、日本への引揚げは困難を極めた。やむなく小さな子供を知り合いの中国人に預けたり、置き去りにしなければならない場合もあって、その人達を中国残留日本人孤児と呼ぶ。

 

 日中国交回復後、残留孤児の肉親捜しと日本帰国が事業化される。公的な肉親捜しの第一回は1981年で、47名の集団帰国がかなうのだが、それ以前から個人的に帰国できた人はいたようだ。

 山崎豊子の小説『大地の子』を読むとその辺の事情がうかがえる。1995年にはTVドラマ化もされ、ご存知の方も多かろうと思う。主役・陸一心役の上川隆也も良かったが、養父役の朱旭の演技が素晴らしく、中国人の情愛の深さを余すことなく表現していて、何度視ても必ず泣いてしまう。陸一心の奥さん役の蒋雯麗も良かった。この人は『覇王別姫』にも出ていたと思う。
 未見の方は機会があればぜひ視てほしい。

 

 話を戻して羽田先生であるが、ハルビンの武術隊にいたということで、武術基本功を中心に、彼から有志が教わることになった。

 

 武道館の田安門寄りに石垣の小高い場所があり、そこで日曜日か土曜日に練習することになった。普段の太極拳の練習は木金の週2回なので、週3回武道館で練習ということである。ちなみにこの頃は入会金千円、月謝千円で、武道館の練習すべてに参加できた。

 

 基本功では、最初はヤートイというのをやる。後で圧腿と書くと知ったが、とにかく大腿・下腿の裏を中心に全面、内側、外側と4つの側面をストレッチする。当時はストレッチとはまだあまり言わなかったかもしれない。要するに柔軟体操である。これを毎回最初に30分間やるのである。

 これを念入りにやっておかないとケガをする、と言われたのだが、実際に練習中に血管が切れて大腿の裏が真っ黒に内出血した人がいたようだ。

 

 続いてティートイという足上げをやる。踢腿と書く。両手を横に開いて胸を張り、前に進みながら片方ずつ正面に足を振り上げる。腰を曲げずに股関節だけを折るようにして、反らせた爪先を額に着けるように上げるのである。

 しばらく続けて爪先が額に着くようになったら、羽田先生が寄ってきて「額を蹴ると危ないから顎の先を狙うように」と言った。

 またしばらくして顎に着きそうになるとまた先生が寄ってきて、「危ないから顎の横にずらすように」と言われた。右足なら顎の左側に爪先がいって襷掛けのようになる。

 

 その後は、体の側面に足を上げる側踢腿、顔の前に両手を掲げて足の甲をリズミカルに打ちながら進む拍脚、脚を外回しにする擺蓮脚、内回しにする里合腿など、いろいろな蹴り技があった。

 記憶が曖昧だが、弓歩や仆歩などの歩形や打突の練習もあったと思う。

 今までの太極拳とは違う早い動きで面白く、楽しく練習していた。



 套路っぽいものでは、シャオジャーというのもやった。これは後で考えると八極小架だったようである。

 少林拳や小虎燕という型もやった。特に後者は最後に飛び技が集中していて、体力筋力に乏しい私としては苦しかったが、なんとか形にはなったかと思う。小架はシャオジャーと言っていたが、少林拳や小虎燕はショウリンケン、ショウコエンと言い、中国語読みと日本語読みがごっちゃになっていたのが可笑しい。

 

 皆さんご存知の日本老螳螂拳研究会主宰・根本一己先生が協会に入ってきたのがこの頃で、まだ高校生の紅顔の美少年だった。羽田教室には最初から参加していたと思う。

 彼と、第二次訪中団のところで出てきた小島さん、潮田くんとが上達も早く技にも切れがあり、この長拳系の練習(と呼んでいたと思う)の中心になっていた。

 

 この数年、根本一己先生の少林拳や小虎燕の表演を久々に拝見する機会があった。功夫の高さは言うまでもないが、四十数年経っても軽やかな動きと技の切れが衰えていないのはすごいことである。



 後に孫剣雲老師から「孫家拳に圧腿、踢腿は必要ない」と言われ、その後圧腿や踢腿は練習するのをやめた。だが、孫家拳に出会う前にやっていたことは、無駄ではなかったと感じている。

 

 私の羽田教室での練習は1976年4月まで続くが、仕事関係による環境の変化で、協会から離れてしまう。半年後に協会に復帰するのだが、羽田教室に戻ることはなかった。

 

 その辺の話は次回に。

 

 

2020年8月22日 (土)

【私の武術慢歩】 王英儒先生のこと

 興奮の初訪中から帰ったので、日本太極拳協会でのことに戻ることにする。

 当面は私が孫式太極拳に出会うまでのあれこれを書いていくつもりだが、思い出しつつ書いていくので何回ぐらいになるか分からないし、時間も前後することもあるだろう。あらかじめご了承いただきたい。

 

 とりあえず入会したての頃に戻る。

 私が日本太極拳協会に入ったときは、すでに1974年6月の第一次太極拳学習訪中団のメンバーを中心とする指導体制に切り替わっていたようである。師範制から指導員制に切り替わるのも、もうすぐだ。師範の楊名時先生は、たぶんもう練習に顔を出していなかったと思う。

 

 私が日本太極拳協会(以降「協会」と略す)に入会したてで、簡化二十四式太極拳を覚え始めたころ、王英儒先生という方がときおり練習会場に顔を出して、いろいろなことを教えてくださっていた。

 王英儒先生は華僑と聞いたような気がするが、定かでない。

 王先生は、楊式太極拳の創始者楊露禅先生の孫である楊澄甫先生に、上海で教えを受けた。教わるときは顧留馨老師とともにどちらかの自宅に楊澄甫先生を招いて稽古し、束脩として金の延べ棒を積んだと聞いた。

 

 王英儒先生は練習に偶にしかお見えにならないので、私は入会したてで何を習うわけではないのだが、お見掛けしたらできるだけ傍にいるようにしていた。

 

 今も思い出すのは、八十八式太極拳を練習しているところで「楊式太極拳ではこうだ」と言って摟膝拗歩の左式を何回か繰り返して見せてくださった場面である。打ち出す右の手を、肘はあまり伸ばさずにコンパクトにさっとこめかみに持っていき「このほうが速い」と言うのが、いかにも武術的に見えた。

 

 もう一つは、練習の時に拳でも掌でも固いものを打ってはならず、蹴りでも固いものを蹴ってはならない、ということだった。

 当時はまだ中国武術はあまり知られておらず、映画のタイトルでも「香港カラテ」とあって、一般に空手と区別されていない場合も多かった。空手には巻藁突き、ボクシングにはサンドバッグ打ちというのはよく知られていただろう。そういう背景でこういう話が出てきたのだろう。

 そのうえで、拳・掌で打ちたいときは部屋に水平に紐を張り、そこにタオルなどの布を掛けてそれを打つようにする。蹴る場合は、脚を固定していない木の椅子を蹴り飛ばすぐらいが限度である、ということだった。

 

 簡化太極拳の形を追うのに必死だった私だが、早い時期にこういう伝統拳の基本的なことを教わったのは貴重なことだった。

 

 惜しいことに王英儒先生は1974年11月23日に亡くなってしまう。私がお会いしたのは入会してひと月半の間の数回だけだった。もっといろいろ教えていただきたかった。

 

 先生の没後しばらくして、先生が自費出版された分厚い本をいただいたのだが、哲学的なのか宗教的なのか当時の私にはまったく歯が立たず、本棚に眠っている間に数回の引っ越しで紛失してしまった。今なら多少は理解できたかもしれないと思うと残念なことである。

 

 次回は長拳系の練習について書く予定だ。


2020年8月18日 (火)

かつしか教室練習日記(2020年8月13日)

前回8/13のかつしか教室練習日記です。
当日の参加者は先生含め9名となかなかの盛況でした。
記録的に暑くてもコロナ禍でもお盆期間でも皆さん熱心に稽古されています。

 

教室に着くと、形意拳の十二形拳のうち鼉(だ)形の解説が行われていました。私自身は最近いまいち練習していない套路です。案の定、やってみると肘が落ちていないことが判明しました。
肘が落ちていること(かっこよく言うと「沈肩墜肘」でしょうか)や掌の形は大変重要らしいと私は最近ようやく理解し始めましたが、その意識は套路にはいまいち及んでいなかったようです。
私の場合、他にも崩拳などは拳で殴るイメージが先行しすぎて?腕を余計に伸ばして肘が上がりがちになったりもするので、形意拳に限らず、肘は今少ししっかり意識したいところです。

 

後半は教室全体に八卦掌ブーム?が到来し、基本の構えや歩き方について解説が行われました。私は一応、八卦掌定歩の手順は先日で一通り習ったのですが、構えにはまだまだ捻りを加える余地があると判明しました。

個人的には、八卦掌を習い始めて以降、そけい部の折り込みが少し意識しやすくなり、最近は太極拳や形意拳の立ち方(というか三体式ですね)などにも良い影響が少し出てきた気もするので、八卦掌でより捻った構えをキープできなら、他の拳種でも伸びしろが見いだせるかも、と思いました。


暑い日が続きますが、工夫しつつ練習に励みたいところです。

 

<<K野>>

2020年8月15日 (土)

【私の武術慢歩】 中国を離れる

 10月3日から24日にかけての中國での全行程が終了した。

 初めて本場の本物の太極拳に触れ、なんとなくやっていた太極拳も本気度が上がった。

 北京と上海の老師方とは、今後もご縁が続いてご指導を受けられると嬉しい。

 表側だけだとしても、生の中国を見ることができた。初めての外国が中国だったのも、何か自分の人生に意味のある事のように思える。

 

 最終日の上海は曇り空だった。老師の方々や通訳、意師の先生方、新華社のカメラマンが見送りに来てくれた。

 いろいろな感想が頭の中に浮かびまとまらぬまま、午前10時上海空港を出発して一路日本へ。これで中国の非日常から日本の日常に戻ることになる。

 

 下の写真は、上海の老師の方々のサインである。北京ではサインをいただく心の余裕がなかった。小さいメモ用紙というのも残念である。

 

  •  

 



 

 次はまた日本太極拳協会の話に戻る。



2020年8月 8日 (土)

【私の武術慢歩】 上海、参観と遊覧

 上海での訓練以外の活動は以下のようなものだった。

 

○上海二日目(到着翌日)午前:上海市内遊覧

 これは前に触れた。

○三日目午後:彰浦新村参観

 解放前は野菜畑だったところに1958年大解放の年に工場と住宅団地が建ち、その後増築。沈さん一家の家庭訪問。いかに素晴らしい生活かを事細かに力説される。訪問した家庭は素晴らし過ぎて、いかにも参観者用にあつらえました、という感じである。

○同日夜:マレーシアvs上海・男女バスケット試合観戦

○四日目午後:黄浦江遊覧

 黄浦江を船で下る。かなり下ってから急に視界が開け、「海に出た!」と思ったら、長江に出ただけだった

 船上で通訳の陳さんが、我々に対してこう言った。

「中国は昔から日本にいろいろ素晴らしいものを輸出してきました」

「ただ、一つだけ悪いものを輸出したことをお詫びしなければなりません」

「それは、孔子です」

 毛沢東自身が後継指名した林彪が死んだ後1973年から1976年まで、「批林批孔」の政治運動が繰り広げられた。

 儒教は革命に対する反動だとし、林彪は儒教を復活させようとした、と難癖をつけて一派を徹底的に弾圧した。

 陳通訳の言葉は、まさに時流を読んでの言葉だったと思う。それを知らなければ「この人何を言ってるの?」と白い目を向けていたはずだ。

 

○同日夜:民族音楽舞踏(延安劇場にて)

 

○五日目午前:上海万人体育館参観

 1万8千人を収容する円形の大体育館。素晴らしい設備を力説。

○同日夜:中華全国体育総会上海分会主催歓迎会(上海大廈)

 ホテル上階の宴会場に着くと、だいぶ上の幹部らしき人がいて、テーブルには上海蟹が山のように積まれている。季節的にちょうど雌の旬で、卵がたくさん入っている。日本で上海蟹はまだポピュラーではなかったと思う。私も見るのも食べるのも初めてだった。

 食べられるだけ食べると隣の別室に案内された。甘い生姜湯が出て、それが蟹の殻で傷ついた口の中にしみる。蟹は体を冷やすので、体を温める生姜を摂ってバランスをとるのだそうだ。

 歓談も一段落で宴会も終わりかと思いきや、「では食事にしましょう」とそれから本格的な晩餐になるのだった。「あらかじめ教えておいてくれ~!」と心の中で叫んだのは私だけではなかったはずだ。

 

○六日目午前:上海市工業展覧会参観

 造船から医療機器まで、広範な工業製品の説明があった。

 私の職業も把握していたのか、電子計算機についてかなり詳しい説明があった。ただし内容はNCNumerical Control =数値制御)がほとんどで、汎用機専門の私は興味がなかった。

 

○七日目午後:少年宮参観

 少年宮は子どもの課外活動の場で、文芸・スポーツ・科学・遊戯などのないようである。遊戯場のような所もあり、我々もひとしきり楽しんだ。射撃があったのも中国らしいと感じた。
 我々もいろいろやってみて、かなり楽しんだ。

 

○八日目午前:上海市上海県塘湾人民公社(幸福大隊武術学習班)参観

 人民公社は延安でたっぷり見た。説明の革命委員会事務室副主任の蒋さんの説明だった。普通の人民服はカーキ色で見るからに綿でゴワゴワした感じだが、彼のは人民服のデザインではあるが紺色で、生地が柔らかそうで艶がある。三浦団長が、英国産のウールだと言う。幹部だと着るものまで違うのか、共産主義でそれでいいのか?と心の中で突っ込みを入れた。


○同日夜:日本側主宰答礼宴

 

 中国での活動も大詰めを迎え、明日はいよいよ帰国の途に就く。



2020年8月 3日 (月)

かつしか教室(2020年9月)

新型コロナの感染者が増加しています。恵比寿教室は8月お休みすることになりました。

かつしか教室は、6月・7月の実績から危険は少ないと判断し、続けることにします。


☆ 健康状態や濃厚接触の有無など、不安をお持ちの方は参加をご遠慮ください。
  くれぐれも無理しないようお願いします。

☆ なお、教室での練習時には以下のような点に留意してください。

 (1)会場の換気を十分にする
 (2)練習前後の手洗い、手指の消毒
 (3)マスクの着用(場合によって)
 (4)お互いの距離を保つ(推手、対打の自粛など)

 各自工夫して柔軟に対処していただければと思います。よろしくお願いいたします。


★★★★★

9/03(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・集会室

9/10(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・集会室

9/17(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・集会室

9/24(木)立石地区センター別館(勤労福祉会館)・集会室

時間 18:30~20:45

お問合せや見学のご連絡は sonkaken@gmail.com  までお願いいたします。
なお、各練習会場は当団体とは関係ありませんので、練習会場への電話などのお問合せはご遠慮ください。


■ 立石地区センター別館(勤労福祉会館)(サイトは こちら です)

住所:〒124-0012 東京都葛飾区立石3-12-1(勤労福祉会館併設)
交通:京成電鉄 京成立石駅下車 徒歩10分

   他に京成バス(それぞれのサイト参照)

★★★★★(後藤)

 

2020年8月 1日 (土)

【私の武術慢歩】 上海での訓練

 上海到着の10月16日を初日とすると、上海二日目の17日から八日目の23日までは午前午後のどちらかを訓練に当て、もう片方を参観に当てるというスケジュールで、24日午前に帰国の途に就く。

 

 朝はだいたい6時ごろから黄浦公園などで練習をした。周元竜老師が八十八式太極拳や圧腿を指導してくださったりした。

 圧腿は、片足を台にのせて水平ぐらいにしてストレッチする。大腿・下腿の前面、後面、外側、内側と四方向を伸ばすやり方を教えてもらった。

 

 体育館での半日の訓練は、主に八十八式太極拳、三十二式太極剣、推手を練習する。小島さんは長拳基本功を中心の練習で、体力的に大変そうだった。

 

 私は丁金友老師に、みっちり指導していただく。

 八十八式太極拳は、上海の老師の方々全般に北京と雰囲気や細かいところに違いがあり、時に戸惑うこともあった。

 

 丁金友老師の動きは、脚からの力が腰の低く粘るような回転によって肩、腕、手へと、波打つように伝わっていくのが分かる。言葉が通じないので、何度も繰り返し動作を示してくださるのが、ありがたくも申し訳ない気持ちになる。

 丁金友老師からの注意は以下のようなものだった。

  • 鬆肩沈肘
  • 主宰於腰
  • 虚領頂勁
  • 上下相随
  • 気沈丹田

 知識として知ってはいてもどう体現するかは難しく、実際の動きや姿勢で指導していただけたのは貴重な体験であった。

 

 丁金友老師は、剣がかなり得意(好き)のように見うけられる。太極剣の要領として、腰(腹)の回転移動と、視線の方向が大事で、これらは太極拳動作と同じ要領であると教わった。「腰帯剣(即一動百動)であり、発於腿、主宰於腰、開於手指」であると。

 七日目には丁老師に私の太極剣を「好!」と言っていただけたのは嬉しいことだった。

 

 何日目だったか、練習の合間にベンチで休んでいると、丁老師がすぐ隣に腰かけてきた。何だろうと思う間もなく、発勁講座が始まった。

 ピッタリ体を寄せたところから丁老師が肩や肘、腰で発勁すると、私の体がポンと横に飛ぶ。いわゆる靠と言うことなのだろう。距離が無いので寸勁と言っても良いのかもしれない。

 私も真似してやってみるが、なかなかうまく勁が伝わらない。何度もやっていただき、ひとしきり試させていただいても、十分の一もできたかどうか。

 

 ここで北京と上海との違いを考え付いたのだが、北京では「太極拳は技撃(武術)ではありません」と明言されていたし、公園でやっている太極拳も制定拳しか見られなかった。老師方の表演も制定拳だけで、集体表演も教科書のように皆ピッタリと揃う。発勁など口にです感じではなく、推手でも飛ばされることなどなかった。

 しかしそれが上海では、老師方の伝統太極拳も拝見できたし、公園ではいろいろな武術や気功のようなものが見られた。もっとも公園引率の周元龍老師(前回まで周元竜老師と書いていたが、日本では周元龍老師と書くのが普通のようなので合わせることにする。もちろん中国では簡体字なのだから問題にならない)は「あれは本物ではありません」と言ってはいたが。

 周元龍老師がホテルに来てくれてロビーで推手の相手をしていただいたが、何度か回した後にポンと飛ばして後ろの太い柱にピタンとたたきつけるぐらいのことはしていた。丁老師の発勁講座しかりである。

 何というか、上海の方が伝統武術的な雰囲気というか味が漏れ出している感じがあった。

 余談だが、後に日本太極拳協会では周元龍老師の陳式太極拳が人気で、8mmフィルムでの学習会ができたりした。

 

 推手では傅鍾文老師に相手をしていただいたことが、印象深く記憶に焼き付いている。柔らかく包み込まれるようで、完全にコントロールされていると感じる。そういうところは劉晩蒼老師に似ているようでもあるが、触れた感覚が違って、その違いはなんとも表現しにくいものがある。ただ達人と言われる老師方の共通点は、こちらがコントロールされつつも気持ちが良いということかと思う。

 傅鍾文老師の推手は、沈身ではあるが重くない(鈍重でない)、動作は軽快であるが浮き上がらない、という楊澄甫老師の教えを体現しているようであった。これももちろん今思い返してのことで、当時はそんなことも知らなかったのだが。

 

 朝練、体育館での訓練の他、参観や遊覧の合間に剣や八十八式を練習したりもした。北京でも上海でも老師方の示範演武を8mmフィルムに収めることもでき、今回の訪中の首尾としては、まあまあ満足できるものになったのではなかろうか。

 

 次回は上海での参観や遊覧を紹介しよう。

 

 

« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ