« 恵比寿教室(2023年7月) | トップページ | 武器研究会日記(2023年5月20日) »

2023年5月10日 (水)

【私の武術慢歩】 六四

 この後、毎年北京を訪れて稽古していた。日本孫氏太極拳研究会の単独訪中で、会員数人を連れて行っていた。
 だが、1989年だけは行かなかった。
 なお、この稿は武術に関係しないので、興味のない方は読み飛ばしていただきたい。


 今までで一番短いタイトルの「六四(リウスー)」はまた「八九六四(バージウリウスー)」とも言う。
 1989年6月4日、天安門事件である。
 「毛沢東って、歴史の教科書で見たことがあるかも」とか、「四人組」(四人帮)と聞いて「Official髭男dism?それとも緑黄色社会?ももクロじゃないよね?」とか言う若い人には分からないかもしれない。

 失脚しその後死去した改革派の胡耀邦元総書記を追悼するため、学生や市民が天安門広場に終結。これが全国的な民主化運動に発展していくところを、人民解放軍が武力で鎮圧した事件である。
 天安門広場に戦車が出動してデモ隊と衝突する(蹴散らす)様子は、日本でもTVなどで報道され、衝撃を与えた。発砲があり市街戦もあったようで、死者も大勢出たはずだが公表されていない。

 改革開放政策を主導した鄧小平が弾圧を指揮したというのが皮肉に思える。彼が可愛がっていた民主化運動に同情的だった趙紫陽も、如何ともし難いことだった。


 夏~秋の訪中準備を始めようかという矢先の出来事で、情勢を鑑みて今年は訪中を止めようということになった。

 翌1990年の訪中時に天安門広場に行ってみた。
 国内国外の観光客が多く何事もなかったようだったが、足元を見ると戦車のキャタピラの痕や弾痕があちこちにある。生々しい様子に注意を向ける人は他にはいなさそうだ。
 その翌年に行った際にはそれらの痕もきれいに無くなっていた。
 現在の中国では、この事件は無かったことにされているようだが...。

 野次馬な友人が事件のときに天安門広場に見に行ったという話を後で聞いた。物陰に隠れて覗いていたらしいが、弾丸のヒュンヒュンかすめる音が聞こえたそうだ。

 弾丸の音と言えば、昔父親に聞いたことがある。
 「ヒュンヒュン音がするうちはまだ遠い。至近距離だとバスッ、バスッという音がする」のだそうだ。

 わたしの父親は戦争の時に北方も南方も行ったようである。京都人なら「先の戦」は応仁の乱らしいが、ここではもちろん第二次世界大戦である。
 父はあまり戦争中の話はしなかったが、たまにするのは良い話ばかりで辛かった話・悲惨な話は全然してくれなかった。今思うともっといろいろ聞いておけばよかった。
 父は大工で、工兵隊で招集されたので前線での戦闘体験は無かったはずだ。弾の音もたぶん軍隊で聞いた話だったのではないだろうか。

 明治生まれの父親もこの年、昭和天皇崩御の二カ月半後ぐらいに亡くなった。
 美空ひばりが亡くなったのは「六四」の二十日後だ。

 日本は元号が平成に変わり、バブルの真っ最中。消費税が施行され、任天堂のゲームボーイが発売された。
 ヨーロッパではベルリンの壁が崩壊した年でもあった。
 何とも時代を感じることではある。


 六月が近づいたところで無駄話をしてしまった。
 もちろん「全部無駄話じゃないか」は禁句である。
 

 

« 恵比寿教室(2023年7月) | トップページ | 武器研究会日記(2023年5月20日) »

5.後藤先生のブログ」カテゴリの記事

私の武術慢歩」カテゴリの記事

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ