5.後藤先生のブログ

2020年5月23日 (土)

【私の武術慢歩】 日本太極拳協会で太極拳を習う

いよいよ太極拳を習うことになった。
 
 これから先、昔のこととて記憶が怪しい。特に時系列があやふやである。今調べられることは極力調べたいとは思っているが、誤りや情報不足は避けられないだろう。訂正、追加情報をお寄せいただければありがたい。

 当時、日本太極拳協会では簡化二十四式太極拳を主に教えていた。
 この太極拳は、中華人民共和国が成立して、毛沢東が「人民体育向上のために」と国家体育委員会に命じて作らせたという。中心になったのは李天驥師だと聞いた。李天驥師の父君は李玉琳師で、孫禄堂先生の弟子だったというのを知るのは後のことだ。

 簡化太極拳は、楊式太極拳の型(套路と言うのだと教わった)を一般の人がやりやすいように短く簡単にしたもので、24の動作(技)がある。それをいくつかずつ分解して教えてもらうのだが、動きがゆっくりなので運動神経の鈍い私でも見た通り言われたとおりに動くことができる。やっているうちに面白くなり、やめられなくなってしまった。

 協会では他に、楊式太極拳を套路の順番はそのままに動作だけ簡略にした八十八式太極拳をやっていて、楊澄甫先生の八十五式をベースにしたものである。当時楊式太極拳というと、それしかないと思っていた。
 推手もやっていて、平円、立円の単推手と双推手があった。最初から活歩があったかは定かでない。

 断片的に聞いたことをまとめると、数年前、たぶん日中国交正常化の直後ぐらいと思うが、日本武道と中国武術の交流代表団が北京に行っていて、そこで習ってきた太極拳を武道館で教え始めたということのようである。日本太極拳協会ではこの代表団を第一次太極拳学習訪中団と位置付けていた。
 私が入会したころは第一次訪中団のメンバーが結構いたようだが、日が経つにつれ、だんだん少なくなっていった。

 日中国交正常化とは、日本国と中華人民共和国が日中共同声明により国交を結んだもので、1972年9月の北京で田中角栄、周恩来両首相が署名して調印された。
 1971年にピンポン外交をきっかけに米ニクソン大統領が訪中して国交を開いたが、日本では「頭越し外交」として話題になった。そこからの必然の流だったであろう。

 李自力著『日中太極拳交流史』46ページによると、古井美実氏が二度目の訪中時に簡化二十四式太極拳の図解テキストをもらったのが始まりで、1969年に日本太極拳協会を設立し会長となったとある。古井氏とともに日中国交回復に貢献した岡崎嘉平太氏の名前も当時の協会で耳にした。

 しかし本格的な太極拳の指導が行われるようになったのは、やはりこの第一次訪中団からではないだろうか。当時の太極拳の指導は、立身中正などの正しい姿勢、放鬆、視線や意識の置き方など、今の私から見てもきちんとしたものだったと思う。

 楽しく通っていて、翌年の夏には手足の冷えも気にならなくなっていた。一年も経たないうちに、いつの間にか教える側になっていた。

 協会の話はいろいろあるが、次回はとりあえず中国へ行ってみようか。



2020年5月 9日 (土)

【私の武術慢歩】 松涛会空手を見る

 小学・中学・高校・大学と、運動部の経験が一切ない。ずっと文化部で通してきた。武術・武道との関りはほとんどない。

 生まれた時から虚弱で、産婆さんが「この子は4歳まで生きられない」と言ったそうだ。しょっちゅうカゼだ気管支炎だ肺炎だと、母親におぶさっての医者通いだった。家族も過保護で、着ぶくれしてあまり外にも遊びに行かなかった。

 小学校に上がって、昼休みになると他のみんなは食事もそこそこにいなくなる。こちらは弁当を食べるのが遅いので(昔の田舎では給食がなかった)、教室にポツンと取り残される。
 ある日の昼休み、校内をうろうろしていて体育館に行くと、みんな走り回って遊んでいるではないか。なるほど昼休みは遊ぶものなのだと分かり、少しずつ混じって体を動かすうちに、運動すると体が暖かくなるということを学んだ。
 
 小学校の校庭の隅に、盛り土して四方柱に屋根を乗せた立派な土俵があった。毎年そこで相撲大会が行われたが、そもそも勝とうとか思っていないが投げられれば痛いし、体を固くして投げられないようにしていたと思う。

 大相撲は若乃花、栃錦の時代だったと思う。まだ家にテレビが無かったので、ラジオで聞くか他所の家にテレビを見せてもらいに行くかだった。まあ面白かった。
 プロレスもみんな結構好きなようだったが、私はあまり好きではなく、友達の話を聞いているぐらいだった。
 
 中学校では冬になると格技の授業があった。剣道をやる学校もあったのかもしれないが、そこでは柔道だった。秋田県の豪雪地帯で、古い体育館の戸の隙間から雪が吹き込んで、積もっている中で畳を敷いて授業をする。寒くてたまらないし足の裏は冷たくて感覚がなくなる。
 運動神経がよろしくないので体育はあまり好きではなく、球技などはからきしだが、マット運動、跳び箱や柔道はそんなに嫌いではなかった。
 筋力がないので担ぎ技など到底無理で、専ら出足払いとか送り足払いとか、力の要らないことばかりやっていた。体落としや支え釣り込み足(たしかヘーシンクの得意技ではなかったか?)は、やろうと思ったがうまくできなかった。

 一度だけ柔道が役に立ったと思ったことがある。理科の授業の準備を当番がするのだが、その時私が当番で大きなガラスの水槽に水を入れて理科室に運ぶ役目だった。
 真冬で水場の簀の子に水が垂れたのが重なって凍り付き、ズルズルに滑りやすくなっており、ツルっと滑って仰向けに転んだ。とっさに後ろ受け身の要領で頭を持ち上げ、水槽を腹の上で水平に抱えて事なきを得た。

 高校でも二年生の頃だと思うが柔道の授業があった。何を教えてくれるわけでもなく、仰向けに並べて寝かせ、足と頭を持ち上げさせて、体重80kg超の体育教師が牛若丸の八艘跳びよろしく踏みつけて行くだけで、くだらない授業だった。

 

 空手を初めて見たのは大学に入ってからである。

 新潟大学は新潟市内・西大畑キャンパスから市郊外の五十嵐浜に移転し、私たちが新キャンパス一期生である。
 新しい校舎はあちこちに砂が吹き溜まっていて、外ももちろん砂だらけ。昼休みになると、地面に砂が溜まったのか、もともと砂場として作られたのか分からないような場所で、空手部が稽古を始める。
 砂に足を取られながら、低い姿勢で走りこむように体を伸ばして拳を出していくのだが、疲れ切ってヘロヘロになっている。
 自分にできるとも思わないし、やる気もさらさら無く、全く関係ない世界としてぼんやり見ているだけだった。

 工学部は専門課程が長岡市にあって、五十嵐キャンパスの一年半の教養課程の後そちらに移る。校舎は旧長岡高専の古い木造で、ボロボロの長屋のようだった。私が卒業して何年かして、五十嵐に統合される。

 ちょうど『燃えよドラゴン』のころだったと思うが、ゼミで卒業研究にとりかかっていて、相棒が空手部のキャプテンだった。ちょうど武術に興味を持ち始めていたころなので、いろんな話を聞いた。

 今は違うようだが、その頃の新潟大学空手部は松涛会という空手で、私が聞きかじって名前だけ知っていた松濤館流とは違う、ということだった。新入生時代に目にした空手も同じだったらしい。

 私には何の知識もなく聞いているだけだった。彼らは青木先生という人から習っているらしく、いろいろ話してくれた。その人が後に新体道を創始する青木宏之氏だと知るのはもっと後のことである。ひょっとしたら新体道はもうできていたのかもしれないが、新体道という言葉をそこで聞いた覚えはない。
 ある日、彼が「本部から人が来て演武会をする」というので見に行った。何人いたのか結構な人数だったと思う。
 「栄光」というのは覚えている。「天真五相」はあったかどうか定かでない。何にせよそれまでイメージしていた空手とはちょっと違う感じがした。

 おそらくそのころ松涛会の師範は江上茂先生で、青木先生は師範代だったのではないかと思う。名著と聞いていた江上茂著『空手道入門』は久しく絶版になっていたが、最近『新装増補版 空手道入門』として復刻された。

 そのころは空手は痛くてキツそうだし、見た目がラクそうなので(失礼)「もしやるなら太極拳か合気道かな」と考えていて、後に新体道と少しでも接点ができるとは思いもよらなかった。
 
 そうこうしているうちに卒業である。就職は東京の会社に決まった。新しい生活はどうなるのか。武術のことなど頭の片隅にもなかった。

 次回はいよいよ東京で太極拳に出会う。


2020年5月 2日 (土)

【私の武術慢歩】『燃えよドラゴン』と『精説 太極拳技法』

 中国武術に出会うきっかけは人それぞれで、世代によって違うようだ。

 マンガなら『拳児』や『男組』でこの世界に入った人は多いだろう。映画ならブルース・リーやジャッキー・チェンのカンフー映画。もうちょっと新しいところでは『少林寺』とか。
 今の若い人たちならインターネットでどんな情報でも手にできるだろうから、そこからなんだろうか。 

 映画『燃えよドラゴン』の封切りは1973年であるらしい。
 マンガ『男組』は1974年から1979年、マンガ『拳児』が1988年から1992年の連載ということである。ちなみにどちらも私は少年サンデーでリアルタイムで読んでいた。

 私の場合は『燃えよドラゴン』が中国武術に興味を持つ始まりだったと思う。そのころ私は学生で、新潟県長岡市にいた。

 『燃えよドラゴン』は二回見た記憶がある。一回は一人で。もう一回は友人に誘われて、友人とその彼女、そのまた友達とダブル・デートみたいな恰好だった。余談だが、友人たちは卒業後に結婚したが、私ともう一人はさっぱり何事もなかった。

 それまで格闘系の映画はチャンバラか柔道、たまに空手が出てくるぐらいで、『燃えよドラゴン』は見たことのない新しい世界だった。

 興味を惹かれてもう少し知りたいと思っても、当時は東京ならいざ知らず、田舎町では中国武術を知る手立てはほとんどない。何か本でもあるかなと立ち寄った書店で見つけたのが、『精説 太極拳技法』だった。

 原著 楊澄甫、編著 笠尾恭二、発行所 中国武術研究会、発売元 東京書店となっている。若いころは購入日を本に書いていて、それを見ると1973,11,20となっている、一方発行日は昭和48年11月25日。発行日より早く書店に並ぶのは珍しいことでもないんだろうか。
 この時、笠尾楊柳(恭二)先生は34歳というこことになる。この本の中に精悍な若い笠尾先生を見ることができる。

 他には、佐藤金兵衛著『中国秘拳 太極拳』(愛隆堂)も買い求めたが、残念ながら今手元に無い。

 本を見ても動きが分かるわけもなく、ただ太極拳がゆっくり動くということぐらいしか分からない。教えてくれるところもある訳がないし、他に知る手立てもない。
 他に学内のサークルや学外でもやることはあったので、卒業するまで想像しているだけで、何をすることもなかった。

 次回は実際に太極拳に出会う前までの話を。

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2020年4月25日 (土)

【私の武術慢歩】予告

 会員の皆さん、こんにちは。後藤英二です。

 

 私が太極拳を始めてからだいぶ経つ。45年ぐらいか。長くやっていると、たまに会員の方から昔の話を聞かれることがある。

 こちらは何回も話したことでも、相手にとっては聞いたことがない話だったりする。あるいは何回も聞いている人もいるだろう。

 何度も語るのは面倒でもあるし、そのうち忘れそうでもある。新型コロナ騒ぎで私を含めヒマな人もいるだろうと、会員向けに少し書いておこうという気になった。


 前に『小狐は尾を濡らすか』というブログにいくつか書いたことがある。今でも見られるかもしれないが、サーバーが当の昔に契約切れになっていて残骸が見えるに過ぎない。

 その後『かかとでこきゅう』と言うブログを書いたが、アカウントの処理を間違って、こちらは今は完全に消えている。うかつなことにバックアップもない。


 両方とも孫家拳に限った話だったし、再掲するだけでは詰まらないので、もう少し範囲を拡げ、もう少し詳しい(くだらない)話も書いてみようかと思ったわけだ。

 

 最初に解題をしておくと、「私の」は、そのままで私に起きたこと私が考えたこと私の記憶にあることを書くということ。

 「武術」は、最初「太極拳」の方が通りが良いかとも思ったが、それだけやっている(いた)わけでもないし、大雑把に「武術」にしておけば何を書いても問題なかろうと。


 「慢歩」は、日本語として普通は「漫歩」だろうが、「漫歩」はあてもなくブラブラ歩くことで、私の歩みはゆっくりではあったけれど途中から、特に孫剣雲老師に出会ってからは、あてのないものでもなかったので、ゆっくり歩く意味で「慢歩」としてみた。


 ブログを書くよ、と言ってずっとほったらかしにした前科が何回もあるので、どのぐらいの頻度で書くかは言わない方がよかろうと思う。

 とりあえず次回は、私が中国武術に出会うあたりを書いてみようか。

 

 詰まらなければ読み飛ばしていただければ。

 誤りの指摘、ご意見、ご要望などあれば、孫家拳のメールに入れていただければ幸甚です。

 

 

2019年2月 7日 (木)

教室と自主練について

会員の皆様、こんにちは。後藤英二です。

立春が過ぎ、春節も過ぎていよいよ春、いろいろ活動が盛んになる季節ですね。

しかし私と言えば、体調不十分につき教室をお休みさせていただいています。すみません。

かつしか教室は本日より参加予定ですが、恵比寿教室はもうしばらくお休みさせていただきたいと思います。
時間的に余裕のある方は、かつしか教室にもお出で下さい。

さて、教室を私が欠席した時に、
「後藤がいないので自主練になるのか」
「自主練だとすると会費・チケットなどの費用はどうなるのか」

という話になりがちなので、私の見解をお伝えしておきます。

まず研究会の公式練習会として、

〔定期練習会〕
  □恵比寿教室
  □かつしか教室

〔不定期練習会〕
  □武器研究会
  □春合宿
  □一日練習会

があり、他に臨時の練習会もあり得ます。
これらは会員全員が対象になります。

この他に研究会としては非公式の、有志による練習会があり得ます。
これを自主練習会(自主練)と称しています。

どちらも私の出欠に関わりなくこの分類になります。

公式練習会は研究会としての会費(月会費、チケット)が発生します。
これは私の出欠とは関係なく研究会の運営に必要なお金で、私に対する月謝とか束脩などとは性格が異なります。

同様に、自主練に私が参加しても研究会としての会費は発生せず、無料だったり実費を均等に分担したりすることになると思います。

公式練習会を私が欠席するのは心苦しいですが、教練・助教の方々は十分な力量があるので、安心して教わってください。

また相互学習ということも心掛けていただきたいと思います。
自分より上手な人ならもちろん、自分より下手だと思う人からも、何かしら学ぶところはあるはずです。

ずいぶん昔の話になりますが、橘家円蔵がラジオで、
「自分と同じぐらいの力量があると思ったらその人は自分より上。
自分より下手だと感じても同じぐらいの力量と思って間違いない」

というようなことを言っていました。思い当たる節が多々あります。

お互いに精進していきましょう。

2019年1月 5日 (土)

新年のご挨拶

2019_2 明けましておめでとうございます!

 後藤英二です。
 昨年は当研究会創立35周年でした。実行委員会はじめ会員の皆さんの力で、内輪ではありましたが発表会を催しました。それぞれが自分の武術を見直す契機となったのではないかと思います。

 私もふだん見慣れている会員の進歩に気付いたり、中でも長足の進歩を遂げている会員もいることに驚きました。この調子で研鑽を続けてほしいと思います。
 実行委員の皆さんには改めて感謝します。お疲れ様でした。

 秋には私の師兄たちや師甥と会う機会を持ち交流できたのも特筆すべきことと思います。皆さんにも刺激になったのではないでしょうか。またカリフォルニアの同門の方が訪ねてくれたのも嬉しいことでした。これを機に対外的な交流も増やしていきたいと思います。特に北京孫氏太極拳研究会(劉樹春会長)との交流は増えそうです。

 皆さんもそれに備えて、中国語や英語を学んではいかがでしょうか。


 さて私個人の事では、5月で孫氏太極拳を始めて40年、10月で最初に太極拳(簡化二十四式でした)を始めて45年になります。早いものだなあとつくづく思います。
 武術はとても面白い。3年の稽古では3年の、45年の稽古では45年の面白さがあります。今も工夫と発見の日々です。皆さんも是非それぞれの段階での面白さを味わってください。

 これからの皆さんの精進に期待します。今年も良い年になりますように。


      私、後藤は都合により1月17・18・24・25日の教室を休ませて
      いただきます。
      教練、助教の方々は後進の指導をお願いします。先輩は後輩の面倒を見
      てあげてください。よろしくお願いします。

2018年10月 5日 (金)

創立35周年記念表演会

9月23日(日)の一日練習会および日本孫氏太極拳研究会創立35周年記念表演会について、山本さんがすでにこのブログに書いてくれています。

補足の意味で少し書いてみます。

1983年10月、北京孫式太極拳研究会が創立され、それを受けて同年12月5日付で日本孫式太極拳研究会を発足させました。

孫剣雲老師を日本に招聘したのは、その2年後の1985年、後藤が孫剣雲老師に拝師したのがその翌年です。

それから、細々とではありますが研究会を続けてこられたことは感慨深いものがあります。
5年前には創立30周年記念交流会も開催できました。

これらはみな会員の皆さんの努力の結果と、嬉しく思っています。

今回の表演会は、昨年4月の合宿時に「35周年と孫剣雲老師没後15周年記念を兼ねて表演会をやろうか」と後藤が言い出し、その場で実行委員会を作って準備を始めてもらいました。もっと言うと、孫禄堂先生没後85周年でもあります。

今回のコンセプトは、皆さんに人前で平常心を保って表演してもらうこと、できるだけ多くの会員に経験してもらうことでした。

30周年では負担が多きかったことから、今回は内輪の大会としました。

実行委員の方々と、お手伝いしていただいた会員、参加した会員の方々のおかげで、とても良い表演会になったと思います。

外部の団体は招待しませんでしたが、私のお友達やその一門の方々がお出でくださって、いっそう皆さんの励みになったのではないかと思います。
ありがとうございました。

皆さん、それぞれ思うところがあったと思います。
大事なことは、平常心を保って表演できたか、他の人の表演をきちんと観て自分の参考にできたか、自分の表演の動画も観て、検証することです。

私も皆さんの表演をまとめて観る機会は多くないので、たいへん参考になりました。これからの稽古で、おいおい反映していきたいと思います。

最後に弟子の方々からの贈り物があったのはとても驚きましたが、嬉しいことでした。

今年は私の師兄たちの来日もあり、何かのきっかけになりそうな年だったと思います(まだ4分の1ありますが)。

これからも皆さん(もちろん私も)精進していきましょう!

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2018年9月25日 (火)

劉樹春師兄、恵比寿来訪

私、後藤の最も古い師兄である劉樹春先生が、第一回東京国際伝統武術文化節のために来日されました。現在、北京孫式太極拳研究会会長です。

お忙しい日程を縫って9月7日夜、恵比寿教室に来てくれました。
私とは13年ぶりの再会ですが、ついこの間会ったような感じで、嬉しくも懐かしい時間でした。

会員の三体式を直してもらったり、他の稽古を見てもらい、アドバイスをもらったりしました。
劈拳、炮拳も見せてもらいました。皆さんにとっても有意義な時間だったと思います。

今後、中国の師兄弟との交流も増えていきそうです。
皆さんも中国語の勉強を始めてください。

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2018年8月25日 (土)

常松勝老師帰国40周年祝賀会の報告

皆さん、こんにちは。後藤英二です。
『常松勝老師帰国40周年祝賀会』が、2018年8月11日(土・祝)に江戸川区総合文化センターで催されました。

日本人&日本在住の来賓の方々、中日太極名家交流対話会代表団の先生方がいらっしゃって、たいへん素晴らしい祝賀会でした。
私、後藤もご招待にあずかりお祝いさせていただきました。

日中武術交流協会の先生方、来賓の先生方の表演は武術に止まらず、楽器演奏、歌、マジック、京劇など、常松先生の人脈の広さを感じさせました。

予定にはなかったのですが、中国からの先生方の飛び入り表演もあり、これも予定になかった常松先生の散打表演が拝見できて、眼福でありました。

また最後の常松先生のご挨拶では、感極まって涙され、高弟の方も「先生の涙は初めて見た」と驚いていらっしゃいました。

常松先生と言えば、日本の中国武術の発展にご尽力され、無くてはならない存在です。
今後も常松勝先生のご健勝と、日中武術交流協会のご発展をお祈りいたします。


Img_20180811_1908011 常松先生の高弟・新井亘先生と

Img_20180811_1829541 老朋友・根本一己先生と


さて今回図らずも、「中日太極名家交流対話会代表団の」の中に、孫家門の先生がお二人いらしゃいました。

張茂清先生は私の兄弟弟子で、年齢的には彼が上、入門は私が先です。孫剣雲老師のご自宅で2~3回お会いして、一緒に稽古したことがあります。天津の方です。

李斌先生は孫叔容老師のお弟子さんで、1984年、12歳の時から師事しているとのことです。系譜で言えば私が叔父という関係になります。まだお若いですが、国際孫禄堂武学連合会主席、深圳市武術協会副主席などを務めています。

プログラムで私の名前を見たと言って、舞台袖で表演の出番を待っているときに、わざわざ探しに来てくれました。
張茂清先生とは15年ぶり、李斌先生とは初対面でしたが、親しくお話しさせていただきました。久々の中国語シャワーで嬉しくも疲れたひと時でした。

孫剣雲老師が亡くなってから、あまり同門の方々との交流が無かったのですが、今後は少し交流していきたいと思いました。
皆さんもそれに備えて、中国語の勉強を始めてください。

Img_20180811_150850 左から張茂清先生、後藤、李斌先生
Img_20180811_191635_2 宴会で

2018年1月 4日 (木)

新年のご挨拶

皆様、明けましておめでとうございます。

昨年は初めての拝師式を行うなど節目(「ふしめ」でいいですよ「せつもく」じゃなくて)の年になりました。

今年は日本孫氏太極拳研究会創立35周年になり、これまた節目となります。私が孫氏太極拳を習い始めてからは5月で満39年(数えだと40年)です。

対外的なイベントは計画していませんが、研究会内部でなにかできるといいかなと思っています。会員の皆さんはご協力お願いします。

今年も地道に楽しく練拳していきましょう。そして一年後にレベルアップが感じられるようだといいですね。

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